俳句結社 柳橋句楽部

師匠なし、添削なしの自由気ままな俳句の会です。メンバーおのおので句評をぶつけ合います。月1回、都内某所で開催(現在はコロナにつきビデオ句会が主)。会員12名。句評(句の感想)のカキコミお願いします! また、仲間を募集中。興味ある方はぜひご連絡ください。

第305回句会報告【兼題句(2月分)】

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4月18日に行った第305回句会報告、2月句会で発表予定だった兼題句です。お題は「平」。

 

日の本は平に成つて和が令いとす めんこ

1点/選者=鉄平

苦楽亭 評
令和になつてこうゆう句が多くなった。時代?を読むのはいいが平凡。

稚女 評
30年ほど続いた平成から昨年、令和に年号が変わった。この句は二つの年号を使って一句をものされたのでしょう。平成は日本国に住む私たちの願いである平らで穏やかな戦いのない国であってほしい。そして1500年前に「和を持って尊しと為す』と言われた聖徳太子の言葉が生き続ける国であってほしいという思いの込められた年号が令和で、これは俳句というより標語と解釈しました。

すみれ 評
句の中に、元号を上手く詠み込んでまとめた句。国号の日本、元号の平成・令和。令和は英語でビューティフル ハーモニー、令和の年が穏やかな年となりますよう作者の願いが込められていると思う。

与太郎
日本は平成から令和になった。だからなんなのだろう。よくわからない。

鉄平 評
内容は全くわからない。ただ作者が何かをしようとする姿勢に一票。

智 評
言葉の流れ、言葉遊びとしては面白いが、俳句にはなっていない気がした。

 

平均台降りて穴より蛇出づる 鉄平

4点/選者=稚女、与太郎、めんこ、みみず

苦楽亭 評
わからない、別に平均台でなくてブランコでもいいのかも。

稚女 評
平均台を降りたのは蛇なのでしょうか?春の季語に「蛇穴を出づ」があるが辞書によればこの季語は地中で冬眠していた蛇が暖かくなり地上に出てくる意という。それを踏まえてこの句を読んでみましたがどうしても解釈不能でした。降りる、出るの二つの動詞が邪魔をしているのかもしれません。「平均台降りて蛇出づる穴のぞく」

すみれ 評
「蛇穴を出づ」は春の季語。平均台のある公園の風景でしょうか? 季語から春を感じることができ、啓蟄につながる句

与太郎
平均台をなんとか渡りきった。自分の平衡感覚に自信がないせいか、ゴールまで渡りきるのには強い意志が必要だった。なんとか端まで歩ききり、ほっとしてふーっと息を吐きながら降りる。それがいけなかった。降りたまわりには蛇の穴が無数に広がり、いくつもの穴から、蛇が僕の脚を狙って舌をペロペロと伸ばしている。それもこれも気をぬいて、息を吐いたせいなのだ。

智 評
春を迎えて穴から這い出した蛇と、平均台を降りた人との予期せぬ出会い。どちらも面食らったであろう、ユーモラスな場面を思い浮かべる。

 

皸や平気じゃない日の家事代行 奈津

4点/選者=智、与太郎、鉄平、風樹

苦楽亭 評
大変だね家事代行。奥様ではなくご主人の句。それにしては皸。

稚女 評
一昔前の主婦は冬の間、皸か霜焼けに悩まされていた。そんな痛む手でガサガサと音をさせながら繕い物をしたり手袋を編んだりしたものだ。歌にある「母さんが夜なべをして手袋編んでくれた~』なんてもうありえない姿だ。だってデザインの良い手袋が100ショップにあるのだから。戦後のあの頃は栄養が十分でなかったので子供たちも青い鼻汁を垂らしていた。さて、この句だが誰が皸で、家事代行は誰がしているのか?

すみれ 評
家事代行をしているのは作者?家事代行をして貰っているのは作者?「平気じゃない日」の言葉から、作者が家事代行をしていると捉えた。皸が早く良くなると良いです。

与太郎
手にはアカギレ。今日は手痛いミスをした。そのミスはその場で謝ってしまえば済む、というものではなく、明日以降もさまざまな対応をせまられる、あるいは決断を要する類いのミスだった。頭の中では、あれをこうして、これはこうしておかなければ、ああ言われたら、こう謝ろう、ここだけは反論しよう、といろんな会話が渦巻いている。そんな日に、今日はたまたま友人の家事を代行する約束をしていた。床の小物を片付け、掃除機をかけ、皿を洗い、夕食の下ごしらえをする。目の前にやらなければならないことがあるのは救いだった。淡々とこなし、今晩も眠れないのだろうなぁ、と呟いた。上五の切れ字が活きていないと思います。

鉄平 評
雪平鍋でなにかを煮ている作者。ぐつぐつと音を聞いていると、耳に残っていた日中の喧騒が消え、なにやら穏やかな良い心持ちになってきた。てな具合だろうか。「や」切りが効果的でないのと、作者ばかり気持ち良くて、読者が置いてけぼりをくっている感じがする。

智 評
皸の痛みに耐えながら慣れない家事をするつらさがユーモラスに表されていると思った。

 

雪平や喧噪遠くなお遠く 与太郎

地8点/智、苦楽亭、すみれ、稚女、奈津、風樹、大橋②

苦楽亭 評
ゆきひらと読むのかな、雪が平という意味? 確かに喧騒は音が吸い込まれて、びっくりするぐらい静かになる。

稚女 評
雪は降っている時には音を感じるが、雪の広がる平原では全く音は吸収されてしまって世の中から隔離されてしまった様な感覚になることがある。『遠く』の繰り返しでの強調は効果的と思います。上五はどの様に発音するのでしょうか?

すみれ 評
「雪平」は在原業平の兄、在原行平のことでしょうか?中七の「喧騒遠く」で、都から須磨へ流された行平。源氏物語の「須磨」を思い出し、行平の寂しさが「なお遠く」に表れている。歴史上の人物を登場させて、上手くまとめた句

鉄平 評
雪平鍋でなにかを煮ている作者。ぐつぐつと音を聞いていると、耳に残っていた日中の喧騒が消え、なにやら穏やかな良い心持ちになってきた。てな具合だろうか。「や」切りが効果的でないのと、作者ばかり気持ち良くて、読者が置いてけぼりをくっている感じがする。

智 評
雪平鍋で粥でも炊いている場面だろうか。火の番をしながら、いつの間にか自分だけの世界に入ってしまう。そして世の中の雑事から解放されていく心が、「なお遠く」という言葉で強調されていると感じた。

Mr.X 評
凛とした静寂の雪景が感じられて素晴らしいと思いました。

宮原 評
あああ

 

行平のあさりの舌の伸びやかさ 十忽

天9点/智、苦楽亭、すみれ、与太郎、めんこ、みみず、奈津、風樹、大橋

苦楽亭 評
小さなあさりが、小さな舌をのびやかに出している景だろうな。この後の運命も知らないで。

稚女 評
行平なべは厚手で薄褐色の陶製鍋で把手、注ぎ口、蓋のあるものおもに粥用ともう一つは片手鍋金属性で木製のもち手があるものと二種類の行平があるらしい、この鍋は多分後者の鍋と思うのだが、あさりの舌は伸びやかさを感じるほど長かろうか?

すみれ 評
「行平」は取っ手のついた鍋。あさりは塩の濃度が低いと舌を出してくる。あさりにとり、水温、塩の濃度も良い条件の中、ゆったりと舌を出している様子を「舌の伸びやかさ」と表した点が良い。このあと、あさりはどうなるのだろう。

与太郎
行平鍋に塩水を作り、いただき物のアサリを入れておいた。言わずもがな、砂利抜きのためだ。しばらく眺めていると、二枚貝のあいだから、もうそろそろ出てもいいかな、と様子をうかがいながら舌が出てくる。ほんの少しの躊躇のあと、あとはもう、まわりなどお構いなしに、一斉にしたが伸びてきて、水を吹くやら動くやら、やりたい放題だ。その生命力を眺めているだけで、こちらも元気になってくる。

鉄平 評
行平鍋のあさりを詠んだ句。類句がありそうだ。「伸びやかさ」を作者の言葉で表現してほしい。

智 評
行平鍋の中で活き活きとしているあさりが「舌の伸びやかさ」でうまく表現されている。ただ、やがて煮られてしまう運命も読み取ると、ユーモラスな中にもいのちの儚さも感じる。

Mr.X 評
鍋のあさりの表現がいきいきと感じられました。

 

心電図平坦となり春時雨 智

2点/選者=十忽、稚女

苦楽亭 評
平坦が気になる、死んでしまったのか、平坦、工夫必要だと思う。

稚女 評
心電図を扱う専門用語では平坦のことはどの様な言葉で表すのだろうか?この句では心電図の表示が平らに成ってしまい人生の終わりを迎えているということなのだろう。そして外は春の雨が静かに降っている。うがった解釈をするならば心電図の水平な線、雨の垂直線を意識しておられるのか?静かな句だ。

すみれ 評
「心電図平坦となり」で、心停止を意味するのか?病室の外は雨が降っている……。寂しさが伝わってくる句。春時雨で、よりいっそう寂しさを感じる。

十忽 評
それまでの波型になっていた線が平坦になった。心電図が何のうねりもなく一直線になったのだ。集中治療室にピーという音がなり続ける。それはまた心電図の主の死をも意味するのだ。その部屋には家族や、臨終を告げる医師がいるような気配さえも感じられない。ただ外には春時雨が音もなく降り続けている。そういった風景がこの一句に饒舌に表現されている。

与太郎
親しい方の病室だろうか。心電図がフラットになってしまった。外は春の雨が降り注いでいる。まるで泪のように。春時雨とつきすぎというか、心電図で死を表すことも相まって、クリシェ(慣用表現)から抜け出していない気がしました。

鉄平 評
入院中の作者。病院内での検診。不整脈が正常になりほっとした途端に、窓のほうから春時雨の音が聞こえた。「ああ、なんだ雨が降っていたんだな」と安堵して初めて春時雨の音に気づいたいう光景だろうか。例えば映画やドラマで心電図が平坦になり、視聴者に患者の死亡を知らせるという表現方法はすでにある。これは一番最初に表現を発見した者がやるから斬新なのであって、そのまま二番煎じというのはいかがだろう。中七に作者のオリジナリティが感じられない。

 

水平器狂いはじめて冬浅し 苦楽亭

5点/選者=十忽、すみれ、めんこ、みみず、奈津

稚女 評
心を水平に保つ、あるいは身体を水平に維持する部分にくるいが生じ初めてしまった初冬。上五、中七はよくわかるけれど、なぜ「冬浅し」という季語を配したのか不明。まだそんなに重傷ではないんだよ……ということなのでしょうか?

すみれ 評
季節的には「春浅し」だが、水平器をチェックしたら、水平器が狂い冬に戻ってしまったというユーモアのある句。狂いはじめて」で、季節は「冬浅し」

十忽 評
なぜか水平器が正常に動かなくなった。家がかしぎ始めたわけでもなく、地盤がずれ始めたわけでもなさそうだ。そうだ狂い始めたのは季節なのだ。この兼題から水平器に到達した想像力に一点です。下五は「春浅し」でしょうか。

与太郎
冬には、水平器を狂わせるほどのエネルギーがあるのだ。まだまだ冬はこれからが本番。おそろしいものが待っているに違いない。……本当に「冬浅し」の句なのでしょうか?

鉄平 評
「冬浅し」は秋が終わり冬が始まる頃なので、二月ではかなりずれた季語である。今年は暖冬なので「水平器狂いはじめて冬温し」と言いたかったのではないだろうか。ただ6番もそうだが物の変化で心象を表す方法は文でも映像でもよくある。これは一番最初に表現を発見した者がやるから斬新なのであって、そのまま二番煎じというのはいかがだろう。水平器がどうだったから「狂いはじめて」見えたのか。中七に作者のオリジナリティが感じられない。

智 評
その水平器は何の面を測っていたのだろう。冬が過ぎ去りつつある中で狂っていくということは何かの比喩なのであろうか。春を待つ狂おしい気持ち?

 

「まっぴら!」とおんな消えゆく白き闇 稚女

人6点/選者=苦楽亭、十忽、鉄平、宮原③

苦楽亭 評
きっとこんな暖かな冬はまっぴらといったんだろうな。

すみれ 評
「まっぴら」は「真っ平」と書いてよいのか? 「まっぴらごめん」と消えて行く女性。何が嫌ななってしまったのか? 「白き闇」の意味が十分理解出来なかった。空想や物語の不思議な世界を想像した。

十忽 評
この「まっぴら」は否定的な意味合いはないものと解釈しました。素直にお暇する際の挨拶として「真っ平ごめんなすって」の意として受け止めます。夜の雪景色に消えてゆく女の後ろ姿がいなせです。いい句です。

与太郎
女が捨て台詞を吐いて消えていく。その先は白い闇だった。下五が、何かを言っているようで何も言っていない。そここそが作者の腕の見せ所、奇跡の生み出しどころなので、もっと何かを伝えて欲しかった。そして、「ぴら」はできれば「平」で書いて欲しかった。

鉄平 評
今どき「まっぴら」を使う女性は団塊世代ぐらいなものだろう。上中までは現実が描かれているが、下五で女はパッと消えてしまう。まるでお化けか神隠しのように白き闇に消えてしまう。「極道の妻たち」を観ていたらいつの間にか「ツインピークス」に変わっていた。それはそれで面白いのか、な? ただ「まっぴら!」と啖呵を切ったのに中七がだらだらと締まらない。中七を推敲したら句が化けそうだ。

智 評
何がそこまでおんなを怒らせたのか。ただ、怒りや憎しみだけなのか。「白き闇」という表現からは、相反する感情が混じり合っているように感じた。

宮原 評
言い訳も、追いかけることもできず、酔眼に映るネオンの白き闇に溶けてゆく女の後ろ姿は夢か現か。翌日の一歩も動けないほどの苦い気持ちまで想像されて何とも言えない気分になった。消えゆく後ろ姿は覚えている。どうやって帰ったかは覚えていない。

 

谷に沿う平家の荘や梅ひらく すみれ

無点

苦楽亭 評
ポスターの標語。

稚女 評
この屋敷が平家のものであることを作者は知っているなら谷に沿うという表現よりも具体的な地名を配した方がもっと見えてくるものがある様に思います。驕れし平家の哀れな末期を彷彿とさせるものが欲しい。これが「ひらや」ではなく「へいけ」であるならば。

与太郎
平家の館と呼ばれるものは、だいたい谷に沿ってある。なぜならいかにも逃げてきたものが身を隠す場所「らしい」からだ。そして梅。菅原道真に代表されるように、その儚い美しさは、やはり敗者を思わせる。全体的につきすぎで、しかも作者個人の感覚ではなく、伝承をなぞっていはしまいか。そこで何を感じたのかを具現化して欲しい。

鉄平 評
作者はこの景色によほど感動したのだろう。目にしたものを全部詰め込んでしまった。そのせいで俳句も「や」切りは使っているがあまり効果的ではなく、ぶつぶつぶつと切れている印象だ。引き算をするか、詰め込んだように見えないよう工夫するか、いずれにしろ作者には推敲を徹底してほしい。

智 評
普段は人気のない谷間の別宅にも、変わらず春は訪れる。自然は人知を超えた存在だということを思い起こさせると言ったら大袈裟であろうか。