俳句結社 柳橋句楽部

師匠なし、添削なしの自由気ままな俳句の会です。メンバーおのおので句評をぶつけ合います。月1回、都内某所で開催(現在はコロナにつきビデオ句会が主)。会員12名。句評(句の感想)のカキコミお願いします! また、仲間を募集中。興味ある方はぜひご連絡ください。

第314回句会報告【自由句】

1月23日に行った第314回句会「自由句」報告です。

今回もコロナの影響を鑑み、ビデオチャットで行いました。

レオナルドに伝えてほしい鳥は空へ 風樹

1点/選者=稚女

苦楽亭 評

何を読みたかったのかわかりにくい。ダビンチ? 籠の鳥を開放せいとゆうこと、なぜレオナルドなの。

稚女 評

無季の句。レオナルドで想起できるのはレオナルドダビンチだ。イタリアのルネッサンす期の画家であり彫刻家であり、建築家、科学者など万能の人。芸術と科学の合致を目指したという。この句で『伝えてほしいことと』は鳥は空でこそ存在価値があるのだということでしょうか?レオナルドを句材にした斬新さはわかるが、表現したいことは下五であるならば、解釈するには材料不足だ。

すみれ 評

レオナルドはレオナルド・ダ・ヴィンチと捉えた。彼は鳥を詳しく観察し、「鳥の飛翔に関する手稿」という研究を遺している。レオナルドが登場する句ははじめてかな?

十忽 評

レオナルド・ダ・ヴィンチを連想させる作りになっているが、過去のレオナルドなのか、それともか現在どこかの国で生きているレオナルドなのか、伝えてほしい相手が曖昧過ぎると思う。下五の「鳥は空へ」がありきたりすぎる発想なのでいただけませんでした。

智 評
レオナルドはレオナルドダヴィンチだろうか。句意がよく理解できなかった。

 

正月に父とつくりし茶碗蒸 野村

人4点/選者=すみれ、みみず、苦楽亭、与太郎

苦楽亭 評

この句は父と娘より父と息子がいいな、男2人台所に立って父は嬉しさを顔に出さず、息子は少し照れている。男2人世帯正月なのに、少しの寂しさとめでたさがいいな。

稚女 評

正月はもちろん新年の季語。句材は正月、父、茶碗蒸しだ。この句材を使って作者は何を表現したいのか?正月にひさしぶりに父に会って二人で料理をした事。茶碗蒸しなんて大変な料理を作った事。どこに力点が」あるのだろうか?料理に手慣れている母と作ったのではなく父と作った事。どこを強調したかったのだろうか?こういう事実があったという散文的な句のようで「詩」を見つけられませんでした。

すみれ 評

なめらかな「茶碗蒸」を作るのは難しい。普段の生活では父と子が料理を作る機会は少ないが、一緒に作った茶碗蒸。親子で過ごす正月休み。ほのぼのとしたものを感じる。下五の茶碗蒸がよい。

十忽 評

散文の域を出ていない。もっと茶碗蒸しに拘ってほしかった。

智 評
穏やかな正月の風景、父のどこか恥ずかし気な雰囲気は伝わってくるが、やや説明的になってしまっている印象。

 

浴槽に鳥肌はじけて寒牡丹 めんこ

地5点/選者=みみず、十忽、宮原、与太郎、風樹

苦楽亭 評

鳥肌が弾けるとどんな音がするのだろう。寒牡丹が季語として適切なのか、別の季語の方がいいのか、悩まされた句。

稚女 評

季語は寒牡丹「冬」。ブルブル震えながら浴槽に入ると「鳥肌がはじけて、」……とありますが、これは毛穴が急に開く状態を表現したのでしょうか?そしてそれは寒牡丹のようだ……という句意だろうか?私にはどうしても下五の表現に違和感を感じてしまいいただけませんでした。

すみれ 評

鳥肌が立つと言う言葉はつかうが、鳥肌がはじけるとはどう捉えるか。鳥肌と寒牡丹の関係が結べなかった。

十忽 評

寒牡丹が風呂場の外で咲いている情景を想像させられるよりも、むしろ風呂に入ろうとして鳥肌立っている人物の、背中に彫られた刺青としての寒牡丹の印象が強く、またその色鮮やかさを強く感じていただきました。

智 評
お風呂の暖かさと寒牡丹の寒さとの対比がいいと思ったが、「鳥肌はじけ」で中七を整えた方がいいように感じた。

宮原 評
鳥肌がはじけて、という言い方はしないと思うが感覚的にはとてもわかる。
加えて、この「はじけて」という言葉が、寒い浴槽で鳥肌が立つというごく当たり前の現象を寒牡丹がぱっと花開く瞬間のイメージに飛躍させていて感覚と言葉が相互に強めあっていてとてもいい句だと思った。

 

初明りガラスの干支に虹あらわる すみれ

人4点/選者=稚女、苦楽亭、風樹、野村

苦楽亭 評

暮れに置いた干支の置き物に初明り、虹があらわれた。ありえるな。今年は希望の持てる年だぞ。綺麗な句。

稚女 評

初明りが新年の季語。元日の朝、ほのぼのさしてくる光。冬の日の出はことのほか美しいもの、特にその年の初日の出は特別な思いがある分、美しさを感じる気持ちも強いものだ。ガラスで作られた干支に差し込む初日の屈折が虹を描いている。

十忽 評

このガラスは窓ガラスではなく、ガラス製の干支の作品だと思われる。その作品に初日の出の日差しが当たり、虹が現れたという句だが、散文としての意味合いが勝ってしまったように思う。

智 評
美しい絵のような情景が浮かんでくる。下五の「虹あらわる」が直接的な表現なので、そこを上手く他の言葉で表現できるといいと思った。

 

野村 評
初明かりが反射してあらわれた虹に、今年が良い年になるようにと祈りを捧げたくなった。

 

夢追いて会いたいあなた風の音 みみず

無点

苦楽亭 評

もう一つ心にすっきりと入ってこない。何故だろう読もうとしていることがわかるようで、わからない。

稚女 評

無季の句。この夢は睡眠中に見る夢ドリームでしょうか、それとも願いとか理想の夢でしょうか?どちらにしても夢を追ってやりたいことは、あなたに会いたいことだという。会いたいこと自体が夢だと。しかし無残にも風の音が聞こえるばかりだ。。。なんて勝手な解釈をしてしまいましたが、作者のこの句に込められた想いを共有することができませんでした。

すみれ 評

風の音をどのように捉えたらよいのが理解できなかった。

十忽 評

俳句というより、演歌の歌詞のようです。波のしぶきが凍てつく日本海、と続きそうな雰囲気がします。

智 評
表現がややロマンチック過ぎて言葉に酔ってしまっている感じがした。

 

 

墨痕の怒気良し書初のコロナ 十忽

4点/選者=野村、大橋③

苦楽亭 評

書き初めに「コロナ」と書いたのか。もうたくさん。

稚女 評

書初は新年の季語。この方は書初の言葉にコロナを選んだのだろうか?気持ちはよくわかる、目下の私たちの日常はコロナに酷く牛耳られているから。でも墨痕にはもっと新年への希望あふれる文字がふさわしい。

すみれ 評

コロナの退散を願いながら、筆に怒りの気持ちを入れて書いた「書初めのコロナ」。「墨痕の怒気良し」の「良し」が力強い。一度見たい書初めである。

智 評
コロナに対する苛立ちを含んだ文字が浮かび上がってくる。「怒気」という直接的な表現を使わず、怒りを伝えられる言葉であれば更によかったように思う。

大橋 評
半紙から飛び出しそうな筆の勢いが伝わってくる素晴らしい句だと思いました。

野村 評
怒りのこもった文字が目に浮かぶようだった。

 

旅立ちは海と川との交じる場所 与太郎

人4点/選者=稚女、智、風樹、めんこ

苦楽亭 評

そうですかととしか言いようがない。場所はよくない。

稚女 評

無季。作者はどこへ旅立とうとしているのだろうか?海と川の交わる場所というのが何かの象徴になっているのだろう。コロナウイルス社会は様々な疑心暗鬼を生み人と人の隔絶が広がっている、海と川が諍うことなく同じ流れを作るように人間も交わりをより深くしていきたいものだ……と勝手な解釈をしていただきました。

すみれ 評

海と川の交じる場所は河口、汽水域。生命は海の中で誕生。旅立ちは鮭の一生を思い出す。鮭の一生は旅人のようでもあり、旅立ちは川からふ化した鮭が海へ戻って行く様子を表したのであろう。春にかけてゆっくりと海へ下る。これを旅立ちと捉えた。視点がおもしろい。

十忽 評

この句は季節が春であれば、汽水域を元気に泳ぐ鮭の稚魚の旅立ちにふさわしい情景だと思いました。

智 評
山河の一滴から川となり、海へ注ぐ水もまた旅をしていると言える。そのような象徴的な場所で旅立つ人の想いが伝わってきた。

 

人日のかもめ白さを極めけり 稚女

天12点/選者=すみれ、みみず、智、宮原②、苦楽亭、与太郎、野村、めんこ、鉄平③

苦楽亭 評

正月7日目。空は蒼く空気は澄んでいる。新年の汚れ一つない真っ白なかもめが飛んでいる。景が美しい。

すみれ 評

1月7日は七草。海の青、空の青の中を飛ぶかもめ。空気が澄み、青と白の対比が美しい。「人日のかもめ」と限定している点がよい。

十忽 評

人日は正月七日。この日のカモメが白さを極める理由が知りたいと思いました。

智 評
寒空の中を飛び回るかもめ。その寒さがかもめの白さを更に鮮やかにしているのだろう。「極めけり」という言葉の鋭さにどきっとさせられた。

宮原 評
雲ひとつない冬晴れの澄んだ青空にかもめが一羽。空の青に比べれば、ほんの小さな1点の白だがそれゆえにその白さが余計に際立つ。清々しい情景だが、かもめ一羽、孤独に漂う寂しさも感じる。「人日」は七草粥を食べる日であると共に中国では人に刑罰を与えない日だということを知った。その上でこの句を読むと、「人日のかもめ」は、あらゆるしがらみから解き放たれた自由の象徴にも思える。その自由も限られたひと時というところが一羽だけで飛んでいる孤独と相まって何とも言えない気持ちになる。若山牧水の「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」も思い起こさせた。

野村 評
調べたところ、人日=一月七日は人を占い、当日が晴なら吉、雨なら凶とされた、とあった。作者はかもめの白さが際立つ青空を見上げていたのだろうか。

 

去年今年重く隅田は海 海へ 苦楽亭

3点/選者=すみれ、智、十忽

稚女 評

去年今年は新年の季語。コロナ影響下の旧年と新年を詠んだ句でしょう。目下の状況を「重い」と表現するのではなく、この重さそのものを伝えてほしい。この句は目下のコロナ社会をいきている私たちには理解できるが数年後、あるいは数十年後にはこれはコロナのことを詠みましたと但書をつけなければわからない句になってしまうのではないでしょうか?

すみれ 評

2020年は明るいニュースのない暗い一年だった。年がかわっても隅田川は変化することなくとうとうと海へ海へと流れていく。重いものを隅田川が流してくれ、新しい年への期待が込められている。「重く」はコロナ感染のことか?

十忽 評
去年今年とくると、そのあとは「つらぬく」と続くのが常套だが、重くとして、鈍色の冬の墨田川が海へ、海へと重ねて強調することによって、冷たく重い流れの実景をより想像させていい句だと思いました。

智 評
去年と今年の境目での慌ただしさの中、心の重さもあるのだろう。そんな中でも隅田川はいつもと変わらず海へと注いでいる。時間の流れにおける人の小ささと自然の大きさとの対比がうまく表現されているように感じた。

 

初夢や語りえぬこと語りたり 智

1点/選者=十忽

苦楽亭 評

思いのたけを初夢で全部話したんだ。いい初夢だったんだ。

稚女 評

季語は初夢、新年。正月二日の睡眠中に見る夢が初夢と言われているが、おめでたいと言われる夢を正月だから見るということもなく、夢はやはり日常胸の奥に潜んでいる思いが映像化されるのではないかと感じる。この句では「話す」というのではなく「語る」という措辞を使っているということは、胸の奥深くにあってなかなか語ることのできなかったものを夢の中で誰かに語っているのだろう。しかし、内容に関しての表記がないので、読者はどのようなことなのか想像することができない。成る程無~と思わせてくれる何かが欲しい。

すみれ 評

初夢は1月2日の夜にみる夢。現実には語ることのできないことを夢で語ったと言う。何を語ったのか想像させてくれるが、どんな話なのか知りたい。

十忽 評

語れないことが初夢の中で語る事が出来た。内容としてはあっさりとしているようだが、初夢でしか実現できないということがシンプルにしかも強く表現されていて素晴らしい。

 

帰省者の呼気を祓いしスキー板 鉄平

1点/選者=めんこ

苦楽亭 評

今年は帰省我慢のお達しがあったのに、スキー板をかついで吸気はどうしたのだろうなどと思ってしまった。

稚女 評

スキーは冬の季語。呼気とは吐く息のことでこの息をスキー板が祓ったという。この祓うという行為は神に祈って罪や汚れを除き去るということで、さて、この行為を可視化できない。雪国へ帰郷して、スキーを楽しんで都会での様々なストレスを解消した……そんな解釈でいいのだろうか?句材が多く詩作の力点を探せませんでした。

すみれ 評

帰省したくても帰省できない人たちの多かった年末年始。コロナ禍の中、帰省した人の呼気をお祓いしたと言う。「呼気を祓いし」にユーモアと切実感を感じる。「スキー板」でなく「スキー場」ではどうでしょうか。

十忽 評

情景ははっきり描かれているが、表現が堅いと思う。呼気、祓う、スキー板、とイメージの固い言葉が続きすぎたように思う。

智 評
帰省者の呼気を祓うという表現から、帰省者がコロナウイルスを持っていて、それをスキー板で滑走して風を切る中で祓っているという意味だろうか。上手く内容がつかめなかった。