第296回句会報告【兼題句/お題「満」】
5月18日に行った第296回句会「兼題句」報告です。
- ディスク満ち自動消去や天の川 鉄平
- 一花にて一壺(いっこ)を満たす白牡丹 すみれ
- 雪退けて折れた枝まで桜満ち めんこ
- 満月や墨一色の地平線 風樹
- 満員バス騒めく言葉外国語 みみず
- 満員を進め小さな探検隊 与太郎
- 譲られても譲られずとも爺不満 稚女
- 満席で肘も触れ合う薄暑かな 智
- 満持して一山松の緑立つ 十忽
- 堂を出て声明の声屋根に満つ 庵々
- 満ちみちて甕の底から人の声 苦楽亭
ディスク満ち自動消去や天の川 鉄平
1点/選者=めんこ
苦楽亭 評
仕事が溜まってしまって、自動的に消えてくれないかな、とゆう句。それとも職場の机が全部消えて流れて天の川に。上5がよく分からない。
風樹 評
ディスクにデータがいっぱいになると自動的に消去されるような機能があるのかどうかは知りません。きっと仕事で夜おそくまで残業していて、あゝ天の川が見える。少なくとも大都会ではすでに天の川を見る機会はないのでしょう。これは、データの光がキラキラと天にのぼり、天の川になっていくイメージの世界を描いているのでしょう。そんな残業ならば、たびたびでもしてみたいですね。
稚女 評
満杯になったPSのディスクが自動消去になり、画面には天の川が現れた…という句意と思いました。コンピューターは人工の極地に存在するもので、それを消去した時に自然の存在である大きく空に広がる天の川が現れるという、人工と自然とを一句にされたのすばらしいと思いましたが、句のテンポゆえか下五の天の川が見えてこないのは残念でした。
十忽 評
ディスクと天の川の作り出す世界というか、二つの関係が産み出す詩の世界がよくわからない。
すみれ 評
ディスクと季語「天の川」との関係が十分理解出来ませんでした。
与太郎 評
心が動きませんでした。
智 評
日常の機械との関わりと、大いなる宇宙との対比が面白い。
一花にて一壺(いっこ)を満たす白牡丹 すみれ
地5点/選者=稚女、苦楽亭、風樹、みみず、庵々
苦楽亭 評
白社丹を読んだにしてはありきたりの句だが句の流れがいい。大胆にスーと下5に向かっている。
風樹 評
白磁の壺に活けられた一本の白牡丹。それだけ。それだけのことを「満たす」の一言が俳句にした。兼題をこれだけ生かしたみごとさに感心しました。たった一花の白い輝きと芳醇な香りが、「一壺を満たす」に充分な美しさ、充分な感動をもたらす。一花だからこそイメージされる景なのでしょう。
庵々 評
4・5・6の字足らずであることもあって、句がスッキリしている効果を感じる。入口がせまく胴がふっくらとしている「壺」には、花に比べてヒョロっとした感じの茎の牡丹は、一本しか活けられない。牡丹の存在が大きく迫ってくる。この白牡丹に似合う壺はどんなものか。創造する楽しみをこの句から得ました。
稚女 評
意表をつくような句ではないけれど、一花、一壺とつなげたテンポの良さと下五にしっかりどっしりと据えられた白牡丹はゆるぎなくすばらしい一句と思いました。
十忽 評
詠んでいる世界は理解できるのだが、内容がありふれていて興が湧かなかった。
与太郎 評
心が動きませんでした。
鉄平 評
特に感動がありませんでした。
智 評
一花でも凛としていればたくさんの花々に引けを取らないという美しさ、潔さが感じられる。
雪退けて折れた枝まで桜満ち めんこ
人4点/選者=苦楽亭、十忽、与太郎、鉄平
苦楽亭 評
子供の徘句のような句だが、観察眼がいい。のけてでない方がいい。
風樹 評
雪退けて----は雪が溶けて----なのか。積もった雪の重さに耐えかねて折れた枝が、雪が溶けてそのまま春になり、桜が咲いたという。枝を折るほどの自然の力と、それでも花を咲かせる自然の力。その対比の妙を句とした。「まで」はこの句を弱くしています。たとえば「に」とすると語の力が増すと思います。この句はもっともっとダイナミックな自然に表現することができる気がします。
稚女 評
上五が不明。雪のけてとすると、雪をどこかへ取り除いて、移してという解釈になるし、雪の重みで折れたとするならわかるのだが。「満」が兼題なので下五を満にしたのだろうが、「まで」と言わず枝先ににして、桜満つ春雪に折れし枝先に なんてどうでしょう?
十忽 評
北国の遅い春を詠んだ句であろう。桜の木が積もっていた雪を「退ける」と言い切ったところがいい。そのことによって折れた枝まで満開になったという状態に説得力をもたせている。
すみれ 評
雪の中でも枯れずにいる枝、植物の生命力を感じさせてくれる。北海道真備町で、土砂崩れで被害を受けた桜の木に花が咲いたとテレビで放送されていました。この句に通じるものがある。
与太郎 評
少し説明的で残念でした。
鉄平 評
雪かき中でしょうか。どけた雪の中から桜の花の咲いた、折れた枝が出てきた。こんなことあるんですねえ。生命力の強さの驚きと、風景としてもきれいですね。ただ「まで」があると周りの桜が含まれるので、この枝の桜だけ見せてもらえれば良いと思いました。それと「雪退けて」という言い方も気になりました。枝が雪を退けていると詠めてしまうので、「雪退けの」やまたは「雪解けの」などにしたらいかがでしょうか。「雪退けの折れし枝から花満ちて」ではいかがでしょうか。
智 評
描写としては美しいが、説明的になってしまっている印象がした。
満月や墨一色の地平線 風樹
人4点/選者=智③、苦楽亭
苦楽亭 評
きっと満の蒹題なら出てきそうな気がしていたが。出てきたので1点。月の赤と墨の世界2色の世界。
稚女 評
満月を季語と捉えると、秋、中秋の名月になるのだが、上五の満月は通常の満月なのだろう。作者はどこから地平線を眺めて墨一色を発見したのだろうか? 墨は本来一色なのだから、この中七にもう少し情報を盛り込むと作者の思いが伝わってくるのではないかと思いました。
十忽 評
景色が想像できなかった。
すみれ 評
墨絵の世界を感じる。満月と地平線、月の光による空の明るさと地上の暗さを対比している。
与太郎 評
何故だか焦点が定まりませんでした。
鉄平 評
「墨一色」に説得力がなかったのでいただきませんでした。
智 評
満月の明るさと、その明るさをも吸い込んでいく広大な大地に広がる地平線。文句なしにその情景に引き込まれていく。
満員バス騒めく言葉外国語 みみず
無点
苦楽亭 評
あなたがイタリアに旅行して満員バスに乗ったら全部外国語ですよ。
風樹 評
中国語か、韓国語か、妙に大声に感じてしまいます。「観光立国」などという経済事情、すなわち金儲け主義を国の方針にしてしまう下品さが、日本にも発生して活発です。いやですね。できれば貧しくとも、静かで、ゆっくりと我が国、我が郷土と文化を味わえる国でありたいと思うのですがね。この句、共感・共感。
稚女 評
浅草周辺も外国観光客が増え、様々な言葉が飛び交っています。満員バスの中はざわめいて外国語が飛び交っているよ、という句意と思いますが、この句が何を伝えたいのか不明。言葉外国語の連なりももったいない、もっと感じたことを伝えて欲しい。
すみれ 評
田舎に行っても、外国人の姿を見かける機会が多くなったリ、外国語も飛び交う今日です。外国人も乗せて走る満員バスですが、外国語を乗せて走るバスと詠んだところが楽しい。
与太郎 評
心が動きませんでした。
鉄平 評
事実を並べているだけなので、詩を感じられませんでした。この光景から、作者独自の発見を切り取ってほしいです。
智 評
東京オリンピックはとなるとこんな感じだろうか。ただ、そこからの広がりがつかめなかった。
満員を進め小さな探検隊 与太郎
1点/選者=十忽
苦楽亭 評
上5の満員をどう読めばいいのだろう。
風樹 評
特に昼頃と朝のひとときの都内バス。どういうわけか最近バスにお客がもどってきたようで混み合います。老人ばかりの乗客の中に小学生や幼稚園生の一群が母親連れで進め探検隊。この句の良い点は、乗客みんなに対して愛情を持っている点です。
稚女 評
「満員を進め』という上五の解釈ができない、小さな探検隊は面白そうな表現ながらこれも何もヒントになる言葉がない。なんか楽しそうな句ではあるのだが。
十忽 評
朝の満員電車の中で、何人かの小学生たちが、おとなたちの腰を押しのけて下車した後の行動の利便さを求めて分け進む様子が目に浮かぶようだ。
すみれ 評
小さな探検隊とは、子供たちの探検隊のことでしょうか?好奇心いっぱいの子供たちのワクワク感が伝わリますが、小グループの探検隊のことかな…?満員を進めの意味が気になりました。
鉄平 評
小さな探検隊とは子供のことでしょうか。スタンプラリーのキャッチコピーのようで、詩を感じられませんでした。
智 評
子供達が大人達をかき分けて進んでいく場面であろうか。それとも、何かの擬人化だろうか。そこがつかめなかった。
譲られても譲られずとも爺不満 稚女
1点/選者=すみれ
苦楽亭 評
そのとうりです。
風樹 評
一方、バスの中でこんな風景も見られます。妙に怒りっぽくなった老人の多いこと。この層の特徴は、遠慮がないこと。ひとを思いやる気持ちをなくし、自分を思いやってほしいと強く思い込むこと。もちろんこの句がユーモアを詠んでいるところは良いと思います。
十忽 評
詩情がない。
すみれ 評
作者の気持ちは理解出来ますね。本当はどちらをしてもらいたいのかな?爺不満…の下五がいいね。
与太郎 評
心が動きませんでした。
鉄平 評
下五に一考ほしいところ。事実の説明のみなのて、詩を感じませんでした。俳句というより、どちらかといえば川柳でしょうか。川柳にしてもちょっと洒落が足りない気がします。
智 評
今どきの世知辛い世間を表しているのか。その不満をもう少し掘り下げれればよかったと思う。
満席で肘も触れ合う薄暑かな 智
人4点/選者=稚女、すみれ、みみず、与太郎
苦楽亭 評
これって、春、夏、秋、冬でもそうではないかな。句意としては弱い。
風樹 評
もうひとつがこれです。冷静に状況を判断し、「薄暑かな」なんて気取っている人もいるようです。お互い譲り合いましょうよ、少しは遠慮もしましょうよ、ギスギスはいやですね。オレがオレがもいやですね。そんな景でしょうか。老人がこの世の中に出来ることはただひとつ。場所を譲って社会的な席を明け渡すこと。この時代から降りることだと思います。そんなことを感じさせてくれる一句でした。
稚女 評
肘が触れ合ってしまうほど、大入りの場所、夏場所の桟敷きかな? しかし読み込むと「肘も」と」表記されている……ということは肘以外の部分も触れているのだろうか? 薄暑の季語には何とはなくさっぱりしない蒸し暑さをかんじる。
十忽 評
ありふれた光景で詩情がない。
すみれ 評
そろそろ蒸し暑い季節。うっすら汗ばむ程の暑さの電車の中の風景を想像します。季語の薄暑がピッタリですね。
与太郎 評
説明されていて残念でした。肘が触れたときに感触とか感覚とかを何かで表現して欲しかったです。
鉄平 評
肘もの「も」は思わせぶりなだけで、計算して使っていない気がしました。「の」のほうがシンプルでよいです。「も」を使うならば、それなりの理由がほしいです。
満持して一山松の緑立つ 十忽
地5点/選者=風樹、庵々②、めんこ、鉄平
苦楽亭 評
わかるのだが、満持してが全山かすごいとは思うのだが。松は常緑樹じゃなかったっけ。
風樹 評
特別に何か新しい景を発見したわけではなく、おそらく天変異変さえなければ毎年繰り広げられるであろう自然のいとなみであり、たくさんの俳句作品がこの世界を詠んできたであろうことも想像できます。問題は「満持して」です。山の松も山自身も決して「満持して」いない。そう思い込むのは人間ばかりです。「緑立つ」と思い込みたかった。私はそのように見えたということなのです。したがってとたんに自然が発するリアル感も説得力もなくなってしまうのです。実にうまく一句にまとめたということになってしまいます。今後は是非、新しい、フレッシュな緑を発見していただきましょう。
稚女 評
満を持したのは一山なのか松なのか? 松は常緑樹で花の後、蕊が長く伸び、若々しい緑色の新芽が吹き出す。いつもの季節に松は緑立つ状態を自然繰り返しているので、上五の表現は的確ではないと思いいただきませんでした。
庵々 評
さあて時季になったゾというように、山の松の木の新芽が一斉に立ち上がり、新緑が山を覆う。その新緑にある日ハッと気づく。緑立つ目に訴えてくるものだが、松風や松涛など音が聞こえてくるような感じを受けます。清々しい句だと思います。いい句だと思います。
すみれ 評
俳句の中での「満持して」の使い方が気になりました。5月の初旬、松の新芽がツンツン伸びる。手で新芽を摘む作業を作者は待っていたのでしょうか?グットタイミングの句。
与太郎 評
満を持されても……
鉄平 評
満を持ししてというほど、松の緑が立っている姿が見えませんでした。「一山」や「緑立つ」という説明がそうさせている気がします。「満持する松」だけでも意味は通じるので、あとは「緑立つ」を緑立つと言わずにどう表現するかが腕の見せ所ではないでしょうか。
智 評
「満持して」という言葉に、自然が自然であるための難しさを感じた。
堂を出て声明の声屋根に満つ 庵々
2点/選者=みみず、十忽
苦楽亭 評
下5が惜しいな、なんで屋根なんかに満させてしまったのだろう。蟀の声ぐらいにすれば声明が生きてくると思うのだが。
風樹 評
読経の声が本堂を出て、屋根に満つというから、相当大声で声明をあげているか、大勢であげているのか。大変な勢いを感じます。ありがたい声明というより、なにかユーモラスに感じてしまいます。実際に体験すれば、その大迫力に感動させられるのかもしれません。声明は何のためにあげるのでしょうか。目前におられる仏様に伝えるのか、大勢あつまっている人々にきこえることが大切なのか。私にはわかりませんが、仏様にわたしたちの願いを伝えるためだとしたら、この状況は不自然な気がします。いずれにしても、宗教はなんだか危うい。
稚女 評
声明というのは一つの儀式であるので、その儀式が行われることによって生まれる声ならば声明の声という言葉はおかしくないと言えるがこの句では必要ないものと思います。さて、僧たちの合唱は屋根に満つ程度では表現できるものではないと想像します。
十忽 評
声明が通奏低音となって響いてくる。それが天井を貫いて堂の屋根を満たす。それだけではなく声明が屋根から滑り落ちるようにさえ聞こえている。聴覚を視覚化したところが素晴らしい。
すみれ 評
法会の際、僧によって唱えられる声楽。お堂から屋根まで、声明の声の余韻が残る句。
与太郎 評
新鮮味を感じませんでした。
鉄平 評
感動を得られませんでした。
智 評
山中の人知れず立つお堂が目に浮かんだ。「声」が持つ力強さが感じられる。
満ちみちて甕の底から人の声 苦楽亭
天6点/選者=稚女、すみれ、風樹、めんこ、与太郎、鉄平
風樹 評
はじめに水琴窟をイメージします。しかし、普通の水琴窟は、水滴が甕の中の反響で美しい鈴のような音を奏でるものです。しかしこの句では、聞こえてくるのは人の声。おそらく、怨み言、怒り、哀しみ、救いの声----怨念のこもった男女の声に違いありません。あるいは地獄から聞こえてくるのか。みちみちてうなり声となって、この世の夜を流れていく。くわばら、くわばら。
稚女 評
何かが限界に達した時、飽和状態になった時、人の永年の思いや怨念などが一つのエネルギーに変わるのかもしれない。一族が代々使ってきた甕がある、用途も様々に数え切れない人々が使いまわしてきたものだ。まだ甕としての形は維持しているのだが、ある夜、その甕の底から人の声が聞こえてきた。
十忽 評
芥川の「蜘蛛の糸」の別バージョンかとおもってしまった。水琴窟に奴隷が閉じ込められ ているのかとも想像したが、いずれにしても詩情がないように思う。
すみれ 評
下五の「人の声」でちょっと恐怖を感じました。甕に閉じ込められている声が、不満や苦しみの声では無くて、喜びや幸福な声が聞こえてくると嬉しい。それを願う。
与太郎 評
光景はおもしろそうですが、上五との関係がよくわかりませんでした。またお題は漢字の「満」なので、これはルール違反だと思います。(※句会後、上五の「みちみちて」を「満ちみちて」に変更)
鉄平 評
甕の中、洞穴から、何かの底から声がするという表現は、昔話で人生訓を語ったり、ホラーで恐怖を連想させるのは常套手段ですので、そこに作者のオリジナリティをプラスしてほしいです。
智 評
おどろおどろしい感じ。どんな声が聞こえてくるのか興味はあるが、怖い気もする。
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