俳句結社 柳橋句楽部

師匠なし、添削なしの自由気ままな俳句の会です。メンバーおのおので句評をぶつけ合います。月1回、都内某所で開催(現在はコロナにつきビデオ句会が主)。会員12名。句評(句の感想)のカキコミお願いします! また、仲間を募集中。興味ある方はぜひご連絡ください。

第304回句会報告【自由句】

1月25日に行った第304回句会「自由句」報告です。

 

冬晴れ間リフトに干した緋毛氈 十忽

地3点/選者=みみず、めんこ、鉄平

苦楽亭 評
行き不足なのかな、スキー客がいないので毛氈を干しているしか読めないのだが。雪の白と毛氈の緋の対比ではなく、冬晴れ間だと青戸の対比か、景はわかるのだが冬晴れ間に引っかかる。

稚女 評
獣の毛を様々な方法を駆使して加工した敷物であるという緋の毛氈がスキー場のリフトに干されている冬の晴れ間、このスキー場はまだ営業をしていないのか、あるいは雪があまりなくて休眠中なのか、作者は白い雪と緋色の対比を詠んだのであろうが晴れ間を使ったことでこの緋色が生かされていないように感じました。

すみれ 評
リフトの場所が気になった。観光地のスキーリフト? リフトに干すとは珍しい風景。お茶会等で使った「緋毛氈」を干しているのでしょうか?緋色は生命力があり、魔除けの効果を期待する意味かある。空の青と緋色のコントラストが美しく、緋毛氈の色に焦点を当てた句。

鉄平 評
作者はリフトに干した緋毛氈を発見し感動したという。ではリフトとなにか。リフトとは上がり下がりする機器の総称。エレベーターもフォークリフトもスキーリフトもリフトだ。特定のリフトが分からない。緋毛氈も絨毯なのか正月のお飾りか、雛人形か、クリスマスのものなのかわからない。なので無理矢理にリフトは「スキー場のリフト」と決めた。寒風吹きすさぶ雪一色のスキー場、客は人っ子一人いない。一人乗りの無人リフトに吊された真っ赤な毛氈が連なって山を登ってゆくのだ。なぜそんな事をする? その事象にはなんら意味はない。ただその風景を見てみたいという読者の妄想である。ちなみに下五が「ニッカポッカ」ならば景がスッと見えるのだが。

智 評
リフトに干したということは、スキー場であろうか。緋毛氈の緋色を雪の白さが更に鮮やかにする。白と緋の眩しさが伝わってくる。

 

残像の緋の消えやらず冬牡丹 すみれ

天5点/選者=智②、稚女、十忽、みみず

苦楽亭 評
美しい句で、完成度も高いと思う。冬牡丹に、緋は工夫した方がいいと思う。

稚女 評
これも緋色を詠んでいるがこの句の緋色は冬牡丹だ。作者は冬の彩の少ない背景の中に燃えるような緋色のボタンを眺め、すっかり心を捉えられてしまった。「緋の残像」の方が緋色を印象的にしてくれるのでは?

十忽 評
寒桜を見ながら滝の音を聴いているという句だが、その滝の音は門の向こうから聴こえてくるというのだ。作者は寒桜と滝の音のどちらに重きを置いているかについては言及していないが、どちらにも解釈できる状況とその曖昧さが面白くていただきました。

鉄平 評
作者は冬牡丹を目にした。その「緋」=赤があまりにも見事だったのでしばらく残像が消えなかったという。「残像がなかなか消えない」ことで冬牡丹の素晴らしさを強調しているのであろうが「消えやらず」は説明に感じる。素晴らしいものを見て「残像が消えない、目に焼き付く」はよくある表現なので、作者の言葉で「消えやらぬ」を表現してほしい。

智 評
鮮やかな冬牡丹の緋色が、そこから離れても目に焼き付いていることへの驚きが感じられた。

 

寒桜門の向こうの滝の音 与太郎

地3点/選者=智、十忽、めんこ②

苦楽亭 評
景は見えるのだが景をそのまま言葉にして並べた句だと思う。

稚女 評
作者はこの寒桜を門の内側で見たのだろうか?外側から見たのだろうか? この門はどのようなものなのだろうか、実際の景を詠んだのだろうか? 滝の音を詠んで、目も耳も楽しませようと試みたのでしょうが、どちらの感覚も刺激されないのは情景を共有できないからなのではないでしょうか?寒桜と滝の音では寒さばかりが伝わってくるのです。

すみれ 評
寺(神社)の門の近くに咲く寒桜を眺めている作者。ふと、静かな境内から聞こえてくる滝の水音に聞き入っている風景を想像した。静かさが伝わってくる句。

十忽 評
寒桜を見ながら滝の音を聴いているという句だが、その滝の音は門の向こうから聴こえてくるというのだ。作者は寒桜と滝の音のどちらに重きを置いているかについては言及していないが、どちらにも解釈できる状況とその曖昧さが面白くていただきました。

鉄平 評
どこか山奥の寺か神社であろうか。山門の前には寒桜が咲いていて、門の先から滝の音が聞こえてくる。中七の「向こう」は説明に感じる。景色は良く見えるが、寒桜、山門、滝の音、作者はなにに感動したのだろう。

智 評
目に見えている寒桜の美しさ。見えてはいないが遠くから微かに聞こえてくる滝の音。見えているものと見えていないものとの対比が、更にその情景を鮮やかに浮かばせてくる。

凍てる地に白い布団を待ちわびて めんこ

無点

苦楽亭 評
中7は雪のことを言いたかったのか、なら雪と行った方がいいと思う。白い布団は違和感がある。

稚女 評
『白い布団』とは雪のことと解釈すると待ちわびているのはスキー場の経営者、あるいはスキーヤーだろうか? あるいは凍てる地に難民となって白い暖かい布団を待ちわびているのだろうか?解釈するには材料不足でした。

すみれ 評
「白い布団」とは雪のこと? 雪国では、今年は雪不足で困っている。雪が降るのを待ち侘びている人達の気持ちを詠んだ句。

十忽 評
雪のことを白い布団と表現している点がありふれていると思います。

鉄平 評
シベリアの住人がAmazonで注文したまっ白な布団を待ちわびているのだろうか。「凍てる地」とはどこか。なぜ「白」なのか。なぜ「待ちわびて」いるのか。もしや「白い布団」とは雪の比喩であろうか。だとしてもわかりずらい。

智 評
「凍てる地」からはシベリアなどの極寒の地を思い浮かべたが、そうではなく自分の生きている場所であろう。そこで布団を待ちわびねばならないということは如何に寂しいことか。暖かさを求める凍てついた心を感じた。

 

寒月や湖面に映る吾は何処 智

2点/選者=すみれ、与太郎

苦楽亭 評
吾は何処と聞かれても、本人がわからないものは他人にはわからない。

稚女 評
冷たく冴えた冬の月に照らされて湖が広がる、この湖面に私の影は映し出されている。確かにそこに自分が映し出されているのだが、私は相変わらず自分を探して彷徨っている……という句意でしょうか?

すみれ 評
利鎌のように鋭い三日月が静かな湖面に映っている。そして、作者も映っている情景を想像した。下五の「吾は何処」の「何処」の意味が十分理解出来なかった。自分は今、どこにいるのか?これから、自分はどこへ行くのだろうか? 自分の居場所を探しているのか、想像させてくれる句。

十忽 評
湖面に映っているのは寒月ではなく、吾だという。しかもその所在が分からないと言うのだから、支離滅裂。

鉄平 評
冬の夜、作者は湖の水面に映る自分の姿を見失っているという。夜なのだから見えなくて当然だと思うが、もしかしたら作者の夢なのだろうか。だとすると「寒月」や「湖面」がリアルで夢かうつつかが中途半端に感じる。もし夢ではなく写生句だとしたら「暗いしそりゃそうだわな」である。表現が分かりづらいのではないか。

 

オイキムチ父が拗ねたぞ御降りぞ 鉄平

2点/選者=苦楽亭、奈津

苦楽亭 評
オイはひらがなの方がいいのでは、老き鞭とも読める、それはそれで面白いが、キムチだよな。バラバラ感はあるのだがなんとなく繋がっていて、ユーモラスな句、やはり老きむ鞭か。

稚女 評
きゅうりのキムチのことをオイキムチというのだそうな。私はおい、キムチとキムチに呼びかけたのかなと思いましたが。この家の父は正月の雨の中、何を拗ねているのだろうか?しかも、すねたぞ、お下がりぞ。。と少し揶揄した口調で。物語性がある句と思うけれど解釈できません。

すみれ 評
「御降リ」は新年の季語オイキムチは胡瓜のキムチ漬けと理解したが、上五と中七の意味が繋がらなかった。父がすねたのは元旦の朝、雨が降ったからだろうか? 「ぞ」を2回使っているのは意図的な効果を狙った為だろう。

十忽 評
父が拗ねたのはオイキムチなのか、それとも降っている雨か雪なのかはどうでも良くて、「御降りぞ」と言うだけで万事が成立するかのような句作りがいただけませんでした。

智 評
CMのキャッチコピーのような軽快な印象。

 

天地よおちつけ落ち着け四方は春 苦楽亭

2点/選者=稚女、与太郎

稚女 評
昨年は落ち着かない天地が暴れまくり方々に被害をもたらした。そんな天地を落ち着かなくさせているのは我々人間の仕業ではあることが大きいのだけど、年も改まって新春となったよ穏やかにこの春を寿ごうよ。落ち着いて温暖化のことを考えなくてはならないのは我々人間だよ。

すみれ 評
「天地」の言葉から、異常気象の大地(地球)に呼びかけている句と捉えた。森林火災、洪水、地震……があった年。年がかわリ、季節もかわった。「落ち着こう」。落ち着いた一年になって欲しいと願う作者

十忽 評
中七の「おちつけ落ち着け」の意味するところが不明。

鉄平 評
天地に向かって、もう春なんだから「落ち着け」と言う作者。天地が落ち着いていない状態とはどんなことだろう。パッと想像したのは昨今の台風や地震などの天変地異だが、なぜそれに対して作者は「落ち着け」と平仮名と漢字で二回も言って釘をさしたのだろうか。それに春はどうつながるのだろうか。テーマが絞り切れておらず、作者がなにを見てなにに感動したのかが伝わって来なかった。多分この句は「落ち着け」を「落ち着け」と説明してしまったのが失敗なのだと思う。ちゃんと落ち着かない天気や気候を詠んで春に繋げれば、分かりやすくなると思う。

智 評
天地はどれほど春を待ちわびているのか。四季の循環は天地であっても操れないということか。「おちつけ落ち着け」と言っているのは小さき人間であろうか。その小さき人間が、大いなる天地、そして自然に対峙しているような印象を受けた。

 

元旦のコーヒー一人静かなり みみず

地3点/選者=奈津②、十忽

苦楽亭 評
元旦、一人コーヒー、静かなりと言わなくても、静かです。

稚女 評
妻も子供も近所の神社に初詣に出掛けた元日の昼下がり香り高きコーヒーをいれ、昨年のあれこれを思い返し、新らしい年への希望などを思いながら一人の静かな時を過ごしている。暮から正月の慌ただしさから解放された一人の時間は至福の時なのだろうし、とても共感し羨ましくも感じるのだがもう一捻り欲しい。下五の表現が当たり前すぎる感あり。

すみれ 評
家族が出掛けてしまいたった一人でコーヒーを飲み、至福の時を過ごしている句。下五は「静かなリ」ではなく、他の言葉で「静かさ」を表しても良いのではないか?

十忽 評
茶店なのか自宅なのかわからないが、いずれにしても元旦に一人でコーヒーを飲んでいる風景は静かだと言われれば静かに違いない。元旦だというのに酒ではなく選りにもよってコーヒーだと言い、しかも感情を伴わない一人の状況を敢て句にしている点が気になっていただきました。

鉄平 評
下五が説明だ。読者は答えを知りたいのではない。元旦のひとりで飲むコーヒーはどんな味だったのか。どんな静けさだったのか。詩を読んでほしい。

智 評
情景は浮かぶが、そこからの広がりがあまり感じられなかった。元日である必然性がないような気がした。

 

キッチンに機知と稚気入るシチュウコトコト 稚女

天5点/選者=苦楽亭、すみれ、みみず、与太郎、鉄平

苦楽亭 評
シチュウコトコトと行っているんだから、キッチンであることはわかる、シチュウを作るのに機知、稚気なんて言葉使うか、気の入ったシチュウができただろうな。

すみれ 評
キッチンのキチとチキを機知と稚気と表現し、シチューの鍋に入っているのは具材ではなく機知と稚気。ユーモアの句。さて、シチューの味はいかがかな?

十忽 評
言葉遊びに終始している点が気になった。

鉄平 評
料理はベテランの「機知」と料理未経験の「稚気」が同じキッチンで料理をしている。稚気に手を焼く機知。料理は全くうまくいかない。言葉遊びも効いていて楽しい句だ。機知と稚気が「キッチンに入る」とも「シチュウに入る」ともどちらにもかかっているようにも取れるのでそこは推敲が必要に感じた。キッチンと料理名を使うとつき過ぎてしまうので、下の句は擬音だけでよかったかもしれない。

智 評
「シチュウ」という表現に、どこか昭和的な、ほのぼのとした台所の風景が浮かんでくる。

 

病棟の隙間に出る初日の出 庵々

地3点/選者=苦楽亭、稚女、すみれ、鉄平

苦楽亭 評
これぞ静寂、中7が多くを物語っている、昨日とは違う静寂が伝わってきた。

稚女 評
そうなのだ、初日の出というのは、あまねく何処にも現れるもの、しかし何処でそれを眺めるかによって見え方は違ってくるのだろう。元旦のあさに東の空から上がってくる太陽を我々は初日の出と言って特別なものを感じる。柏手を打って今年の福を祈りあげる。上五の病棟は「病窓」にすると隙間がより明確になるのではないだろうか? また、また中七の「出る」は初日の出とダブってしまうのでこの部分を変えると表現を膨らませることができるのではないかと思います。

すみれ 評
初日が山や海ではなく、「隙間に出る」と表現した意外性の句。昨日の太陽と同じなのだが、年が改まると清々しく、しかも、森厳の気が漂うように感じる。初日を見た、患者さんの気持ちはいかがであろうか?初日に、何を願ったのであろうか?

十忽 評
病棟と病棟の間のことを「隙間」と表現した点が気になった。

鉄平 評
病棟のわずかな隙間からの光。作者の寂しさを感じられるが、「出る」は不要だろう。もうひとつ何かがほしい。

智 評
初日の出はめでたさや神々しさを思わせるが、病棟の隙間からわずかに見えるそれは、不安やいのちの儚さを感じさせるような気がした。