俳句結社 柳橋句楽部

師匠なし、添削なしの自由気ままな俳句の会です。メンバーおのおので句評をぶつけ合います。月1回、都内某所で開催(現在はコロナにつきビデオ句会が主)。会員12名。句評(句の感想)のカキコミお願いします! また、仲間を募集中。興味ある方はぜひご連絡ください。

第313回句会報告【自由句】

12月27日に行った第313回句会「自由句」報告です。

今回もコロナの影響を鑑み、ビデオチャットで行いました。

本持ってコーヒー持って日向ぼっこ すみれ

2点/選者=稚女、大橋

苦楽亭 評

本、コーヒー、日向ぼこ、並べると句になってしまう。句意の平凡さが目立ってしまう、語順を変えるなどの工夫必要。

稚女 評

日向ぼっこは冬の季語。大好きな作家の新作と大好きなコーヒーを持ってこれから大好きな日向ぼっこを楽しもうという句。なんとも長閑で平和でいいな~と思いました。が見えてくる風景は極々当たり前。もっと新しい日向ぼっこを見せて欲しいとも思いましたがコロナ社会の中で神経疲弊の私たちに「こんな状況設定で乗り切りましょうという応援句かもと一点。

 

十忽 評

本を持って、コーヒーを持って、日向ぼっこです。それの先に展開されるであろう「何か」を、散文ではなく俳句で知りたいと思いました。

智 評
穏やかな休日の午後の情景が浮かぶが、表現としてはありふれていると思った。

大橋 評
ほのぼのとしました。コロナ禍でも日々の生活にささやかな楽しみを見つけるのは大切ですね。

 

 

渡月橋揺れる夜空を除夜の鐘 十忽

2点/選者=智、与太郎

苦楽亭 評

除夜と言っているのだから夜空ではない方がいいと思う。

稚女 評

除夜の鐘は冬の季語。渡月橋は京都嵐山の保津川に架かる有名な橋。しかしこの橋は揺れるのかどうかは知りませんが、作者は除夜の鐘をこの橋を渡りながら聞いたのでしょうか?かの有名な「柿食えば~」と同じように二つの材料に関連はないのかも知れません。除夜の鐘は行く年と来る年を隔てる音で真夜中近くから鳴り始まる。それゆえ夜空という表現は勿体ない。もっとこの場所ならではの除夜の鐘を描けないものだろうか?ということでいただきませんでした。

すみれ 評

京都の大晦日の夜の美しい風景が浮か浮かぶが、視点をしぼってもよいか・・・と思う。

十忽 評

葉が散るということを、人間が服を着るような感覚で読めてしまうので、地球がふっくらという表現も同じような擬人化として感じてしまいました。

智 評
どこからか聞こえてくる除夜の鐘が夜空に溶け込んでいく様がうまく表現されていると思った。

 

 

葉が散って地球少しふっくらと 苦楽亭

天7点/選者=稚女、野村、風樹、与太郎、めんこ、鉄平②

 

風樹 評

すっかり美しく紅葉した柿の葉が、風のたびに落葉して、我が家の横丁の道に落ちて歩くたびにふかふかと、なんだか地球が少しふっくらと。この世界観がリアリティに富んでたのしい感覚をもたらしてくれる一句となった。“地球少しふっくらと“の見立てがとても素敵に思いました。秋の地球がひときわ豊かに感じられる感覚がみごとといえましょう。

稚女 評

葉がちるを「落ち葉」とすると冬の季語。地球が少しふっくらしたというのは、落ち葉が地面を覆ったことを表現したのでしょうか?そうであるとしたら、小さな落ち葉であるより大きな葉の方が納得できるように思います。特定の大きな落ち葉の名前を使った方がこの句の意味がはっきりするのでは無いでしょうか?

すみれ 評

山が若葉(芽吹き)の頃、山ふくらんでという表現がある。「ふっくら」との意味を十分捉えることが出来なかった。

十忽 評

葉が散るということを、人間が服を着るような感覚で読めてしまうので、地球がふっくらという表現も同じような擬人化として感じてしまいました。

智 評
散った葉が地上に積もって地球がふっくらとした、ということだろうか。やや説明的な印象がした。

 

野村 評
落ち葉を踏みしめる音とあのふんわりした感覚が楽しかったのを思い出した。ぎすぎすした世の中になったが、また柔らかな地球を踏みしめたいものだ。

 

一人ではない見えない雪の輝きを みみず

無点

苦楽亭 評

一人の時には見えていた雪の輝きが2人になったら見えなくなったとゆうこと、そうゆう解釈でいいのかな、ではない がわかりにくくしているかな。

稚女 評

雪が季語。一人では雪の輝きが見えなかったけど、あなたと二人で見るとこんなに雪は輝いているのだと知った。という句意でしょうか。要するに愛する人と眺めるとなんでも輝いて見えるということと解釈しました。ただ、上五中七でな「「ない」「ない」と続く否定語がこの句をわかり辛くしている気がします。

すみれ 評

人は自分ひとりではなく、皆に支えられながら生きていく。「一人ではない」の言葉に力強さを感じるが、「見えない雪の輝き」の意味を十分つかめなかった。故郷や旅先で見た雪の降る景色を思い浮かべていると捉えた。
5/ 雨の朝、何かを断念したと言う句か、「諦め」たことは何だろうかと、想像させてくれる句。

十忽 評

解釈が難しい句だと思いました。散文としても文章として成立していないと思うし、俳句としても意味する具体的な像を結ばないと思いました。

智 評
根底にある寂しさは伝わってくるが、句意がうまく掴み切れなかった。

 

 

諦めをひとつたゝんで今朝の雨 風樹

人5点/選者=十忽、宮原、みみず、苦楽亭、与太郎

苦楽亭 評

何を一つたたんだのだろう、今年は一つどころか沢山のことをたたまなければならなかった、そのどうしょうもない静かな諦観下5がいい。

稚女 評

無季の句。上五、中七の解釈が難しい。諦めをたたむ……とは諦めを諦めること、あるいは諦念を胸に仕舞い込んで封印してしまうこと……でしょうか?それと下五の関連性も理解できませんでした。

すみれ 評

雨の朝、何かを断念したと言う句か、「諦め」たことは何だろうかと、想像させてくれる句。

十忽 評

諦めをたたむという表現がわたしにはとても新鮮でした。下五の「今朝の雨」を「今朝の雪」と読み替えていただきました。

智 評
「今朝の雨」を季語にした方が伝わってくると思った。

宮原 評
「諦めをひとつたたんで」という表現をどう取るか考えてしまった。諦めていた何かを諦めない決意をした、なのか諦めかけていた何かを完全に諦めて、たたんで心の底にしまい込んでしまったのか。前者だとその決意を今朝の雨が挫いてしまった。後者であれば洗濯物ではないが、昨日のうちに諦めてたたんでおいてよかった、となるのだろうか。どちらにしろ、朝の雨はやるせない。

 

幼子の泣いて笑って日の短か 宮原

人5点/選者=十忽、すみれ、野村、風樹、苦楽亭

苦楽亭 評

平凡な句だが何かほっとさせてくれる、泣いて、笑って、眠って平凡な1日だが一番安心できる1日、日の短かが効いている。

風樹 評

幼子が、どこにもいる小さな子たちが家の中で泣いて、笑って、騒いで、疲れて眠る。そして人生が過ぎて行く。人の人生とはそういう時間の過ぎゆく流れの重なりなのかも知れない。あぁ人生だなぁと感じさせてくれる一句。何よりも力が入っていない。論理もない、理屈も亡い。ゆるりと過ぎゆく「穏やかな諦念」いやーまいりましたね。

稚女 評

日の短かは冬の季語。幼子のありようを形容する際に「泣いて、笑って」は常套表現で、可愛い幼子と過ごせばあっという間に1日が暮れる。当たり前の景色はほっとするもののやはりいただく一句としては物足りない。

すみれ 評

幼子は赤ちゃんと捉えた。幼子の表情は一日中見ていても飽きないと言う。季語の「日の短か」がよい。日暮れが早いと人の気持ちや仕事も慌しくなりがちな冬の日。そんな慌しい日を赤ちゃんの表情がなぐさめてくれる。笑い声が聞こえてきそうである。

十忽 評

中七の「泣いて笑って」が簡潔で幼児の一日をよく表現していると思いました。下五の「日の短か」にも中七が効いていると思います。素直でいい句だと思いました。

智 評
幼子が泣いたり笑ったりするのは当然で、ありきたりな印象だった。

 

野村 評
すっかり日が短くなったが、それにも増して幼子との幸せな時間はあっという間に過ぎゆく尊いもの。あたたかな毎日がうかがえ、幸せな気持ちになった。

 

ビルビルビル刈り込まれても銀杏 与太郎

地6点/選者=智、宮原②、すみれ、大橋、鉄平

苦楽亭 評

この銀杏は東京都のマークかな、建ち、壊され、都市伝説、いずれ廃墟になるのだろうけど、上6どうにかならなかったかな。

稚女 評

銀杏落ち葉、銀杏枯るという季語はあるものの「銀杏」のみの季語はあるのでしょうか?上五のビルビルビルは高層建築のことでしょうか?目下銀杏は黄葉してビルを輝かせているように見える場所もありますが、刈り込まれても銀杏は間違いなく銀杏であってこの下五が何を表現したいのかわかりませんでした。

すみれ 評

 葉が散り、枝が切られてしまった銀杏の街路樹。「ビル」のくりかえしがよい。ビルの建ち並ぶ様子を表現。師走の街の風景がみえる。

十忽 評

銀杏の葉が散り敷かれた景色が目の前に広がっていい句だなと思いましたが、上五の「ビルビルビル」の鬱陶しさが残念。

智 評
ビルに囲まれた公園を「ビルに刈り込まれて」と表現したのだろうか。そんな都会の公園の銀杏はまた違った風情を感じさせた。

大橋 評
ビル群なのか、刈り込む音なのか、面白いと感じました。

宮原 評
ビルビルビルにやられた。街中の大きなイチョウが大規模な剪定をされている。チェーンソーはビルビルビルと大きな音を立てながら大量の葉をつけた枝を切り落としていく。すると今まで枝葉に隠れて見えなかったビル、ビル、ビルがあらわになっていく。最後の銀杏も効いていると思った。刈り込まれてすっかり貧相な見た目になってしまったイチョウだが、剪定で落ちた銀杏の独特な匂いが「まだここにいるんだぞ」と存在を主張してくる。

 

凍星や人の行きかう音はなく 智

人5点/選者=十忽、稚女、風樹、みみず、めんこ

苦楽亭 評

夜間外出禁止のコロナと結びつけてしまう、地球を凍星としたのだろうが中7、下5が平凡。

風樹 評

ステイホームが叫ばれて、何となく外にでることがはばかれて、老人の私などは我が家にいるしかない。夜など外はどんな表情になっているのか。静かである。人の行き交う音がなく、冷たい星の輝く闇。圧倒的な静けさ。ひたひたと身に沁みていく。何と静かで何と孤独な夜なのか。この一句の静けさは音のない静けさ。「誰かいますか?」と呼んでみても、闇に消えてゆくだけ。圧倒的な闇。

稚女 評

無季の句。星さえも凍りついてしまうような寒夜なれば人は暖かい家の中で過ごしたいはず。それゆえ人の往来の音も聞こえないだろう。作者は往来のない通りを照らす煌々とした星々の見事さを読まれたのでしょうが、このままでは当たり前の句としか残念ながら感じられません。

すみれ 評

「音もなく」ではなく「音はなく」がよい。冬の夜空に星が輝き静かな夜の風景が伝わってくる。

十忽 評

中七の「人の行きかう」が上五の「凍星や」と下五の「音はなく」の関わりの中で、今現在のコロナ禍を連想させて面白い句だと思いました。

 

 

コロッケの香流れくる師走バス停 稚女

3点/選者=智、野村、大橋

苦楽亭 評

俳句として師走は必要かな、ここを整理するといいと思うのだが。

すみれ 評

バスを待っていると、バス亭に漂ってくるコロッケの香。庶民の味のコロッケと下町のバス停の様子を表現している。懐かしさを感じる。

十忽 評

ありふれた風景だと思いますが、そこにも詩情を詠みこむことは可能なはずです。この句にはその詩の要素が欠けているように思いました。

智 評
慌ただしい師走に、寒さに震えながら家路を待つ人々。そこへ香ってくる揚げたてのコロッケの香り。人々がほっと一息つく瞬間が見えてきた。

大橋 評
コロッケが食べたくなりました。

野村 評
慌ただしくどこかそわそわしてしまう師走、帰り道寒空の下で美味しそうなコロッケの香り。列の誰かが買ってきたもの? ほっこり熱々のコロッケで身も心も温まりたくなった。

 

会終りピザ窯のひび増え師走 鉄平

4点/選者=すみれ、苦楽亭、みみず、めんこ

苦楽亭 評

おしいな、中7、下5は気に入っているんじょだが、会終わりじゃな、除夜ぐらいにしたら。

稚女 評

師走が季語。何かを象徴している俳句なのでしょうが、読み取れません。会が終了したらピザ窯のひびが増えてしまってもう師走だ。深読みすると、政府が経済を鑑みて立案したgo to トラベルは結局、コロナ感染者数を増やしてしまってコロナに翻弄された今年ももう師走だ。無理な解釈かな~?

すみれ 評

今年最後のホームパーティー「食事会」の様子を思い浮かべた。自宅のピザ窯を使って焼くピザは美味しそう。味ではなく、ピザ窯のひびに視点をおいた点がおもしろい。自宅にピザ窯があるなんて羨ましい。

十忽 評

会が終わるとなぜピザ窯にひびが増えるのか、よくわかりませんでした。

智 評
散会したあとの寂しさが「ひび」という言葉から感じられた。季語の「師走」がややとってつけたような印象があった。

 

あの人が好きだったらしきものをおくる めんこ

無点

苦楽亭 評

意味不明、好きだっらしきもの送るの。

稚女 評

無季。結局この作者は明確にあの人の好みを知らないということでしょうか?好きだったらしきものという表現、好きなものではなくだったらしきととても曖昧で、もしかしたららしきものと思い込んでいたものはそうでなかったという結果になるかもしれない。

すみれ 評

年末に届く喪中ハガキ。「あの人」は作者にとって大切な人だったのだろうか。
亡くなった人と捉えた。悲しみ悼むものとして何をおくったのだろう…。「もの」を想像させてくれる。

十忽 評

表現をわざと曖昧にした理由が読み取れなかった。これがあの人の一番好きなものだ、と決めつけられたものを送ってほしい、とわたしなら思うけどな。

智 評
お歳暮のキャッチコピーみたいで、俳句とは感じられなかった。