第309回句会報告【兼題句/お題「カップ麺」】
8月15日に行った第309回句会「兼題句」報告です。お題は「カップ麺、カップメン、カップヌードル」。
今回もコロナの影響を鑑み、ビデオチャットで行いました。
- 躊躇なき水着の表紙やカップ麺 鉄平
- 腐海航くカップラーメンどんぶらこ 稚女
- カップ麺酔い酔い啜りて2杯半 野村
- 頂きに湯気くゆらせてカップ麺 与太郎
- 日の丸が吹かれ夕焼けカップ麺 みみず
- 夏の夜の緊急速報カップ麺 すみれ
- 嵐過ぐ水で戻したカップ麺 めんこ
- 盂蘭盆は帰る人なくカップ麺 智
- カップ麺ひとりふたりとしてかぞえ 風樹
- (前書)カップヌードル 宇宙食となる宙(そら)よりのカップ麺の香下弦の月 苦楽亭
- カップ麺食う背な丸くなお丸く 宮原
- キャンプにはカップラーメン妻の言う 十忽
躊躇なき水着の表紙やカップ麺 鉄平
天6点/選者=稚女、みみず、宮原、めんこ、苦楽亭、風樹
苦楽亭 評
狭く、汚く、暑く、四畳半的な句。なんで水着にしたのだろう。ヌード雑誌ぐらいにした方がカップ麺の存在が引き立ったのに。
稚女 評
躊躇いもなく体を露出した水着の写真を表紙にした雑誌をめくりながらカップ麺をすすっているという句でしょうか?カップ麺にはこんな雑誌がよく似合うということか、あるいはそんな実際の情景を目にしたのだろうか?中七の「や」のきれ字は必要でしょうか?
すみれ 評
水着のポスターと言えば、化粧品や繊維メーカーの水着キャンペーンガールを思い出す。前田美波里、夏目雅子さんはステキでした。表紙の魅力に引きつけられながらカップ麺を食べているのか。又は、カップ麺のフタにしているのか。フタにして3分間待っている作者を想像。
十忽 評
躊躇なき水着というのは、色でもなくデザインでもなく、とりあえずは露出度の大きな水着という解釈でいいのでしょうか。それが表紙になっているということは、大人向けの雑誌でしょうか。お湯を注いだカップ麺の上に、蓋代わりとしてその雑誌を載せて三分待っている景色が浮かぶけれど、何の興趣も湧きませんでした。
与太郎 評
コンビニの雑誌コーナーだろうか。表紙には見ているこちらがひやりとするほどの大胆な水着姿の女性。それがカップ麺と同じように売られているという不思議さ。……といったところでしょうか。今ひとつ、中七までと下五の関連性がピンときませんでした。
智 評
「躊躇なき水着」という表現は面白いと思った。「や」で切らずに「表紙」でよかったように感じた。
宮原 評
紙の蓋が開かないようにカップ麺の上にグラビアアイドルが表紙の雑誌を乗せてできあがるのをを待っているところだと思うのだが、一時代前の光景になったような気がする。最近のカップ麺は液体のスープやら、なんとか油やらを蓋に乗せて温めてくださいと説明書きがあったり、蓋を留めるシールが付いてたりと、雑誌を乗せる必要も無くなってしまった。更に言えば最近は雑誌を買う機会も少なくなっているだろう。湯気で凸凹になってしまったアイドルの水着姿が時代がかって見えてくる。
腐海航くカップラーメンどんぶらこ 稚女
2点/選者=すみれ、野村
苦楽亭 評
この句は想像できたな。
すみれ 評
腐海(スイヴァーシュ)ウクライナ本土とクリミア半島の間に横たわるアゾフ海の西岸に広がる干潟。この地を句に詠んだ作者の意図は何か?海洋プラスチックごみ問題が取り上げられている現在カップ麺の空容器が流れ、浮かんでいる様子を想像。「どんぶらこ」で桃太郎の絵本を思い出すが、海洋汚染問題を提起した句と捉えた。「腐海」をはじめて知った。
十忽 評
「腐海航く」の読みかたは「ふかいいく」だろうか。腐った海を流れていくカップラーメンには不快感しか感じませんが……。
与太郎 評
ウクライナの腐海を進んでいくカップラーメンの入れ物。プラスティックのゴミが気になる……ということなのでしょうか。それとも世界一周の旅の途中、船の上で食べたカップラーメンがおいしかったということでしょうか。今ひとつ心が動くポイントと、使われている言葉とが結びつきませんでした。
鉄平 評
無季の句。腐海をカップラーメンがどんぶらこと流れている。腐海は行ったことも見たこともないが、カップラーメンが流れているのだろうか。腐海である意味が感じられず、作者がなにを伝えたいのかよく分からなかった。
智 評
海を汚すカップラーメンの容器を詠っているのだろうか。「腐海」という言葉はやや強い言葉に思ったが、「どんぶらこ」がそれを中和している部分はあるように感じた。
野村 評
ナウシカを観ながらカップラーメンを食べていたのでしょうか。腐海(環境問題)と今の時勢(コロナ禍)をかけつつ「どんぶらこ」でどこか皮肉っているような、でもそこから逃れられないような、何とも言えない気持ちになりました。
カップ麺酔い酔い啜りて2杯半 野村
1点/選者=鉄平
苦楽亭 評
やめな、体によくないよ。でも気持ちは良く分かる。酔うとラーメン食べたくなるんだけどさ。無駄に肉が内臓にそれも黄色い肉がつくだけだよ。
稚女 評
句意はわかるが何が言いたい!酔っ払うと無性にカップラーメンが食べたくなるのかな~。しかも2杯半だと、残りの半分はどうするのだ。詩も俳味も感じられず、自分の実態を吐露した俳句という印象で残念ながら頂けませんでした。
すみれ 評
作者はカップ麺が好きなのでしょうか? 二杯半も食べて満服。下5の「二杯半」と言い切った点がよい。中7の「酸い酸い啜りて」の表現が気になった。
十忽 評
いくら酔っていたとしても、カップ麺を二杯半も啜る勇気はありませんし、試してみたこともありませんので、なんとコメントしてよいのやら。席亭さんからは丁寧な句評をといわれておりますが、すみません。
与太郎 評
気がつくとカップ麺を2杯半も食べていた! それはよっていたからだ。……と、ネタばらしをされてしまってはおもしろさが伝わってきません。「気がつくと二杯半も食べていた」と気がついた瞬間だけを詠んでくれた方がおもしろい。
鉄平 評
無季の句。酒に酔ってカップ麺を二杯半も食べてしまったという句。すげえなあとは思うが一読して余韻めいたものがない。読んだ後に心に響いてくる詩感がほしい。「酔い覚めの名知らぬ人とカップ麺」
智 評
酔った後のラーメンの味が浮かんでくるユーモラスな句だと思う。「酔い酔い」と言葉を続けたのはリズミカルではあるが少しくどいような印象もした。
頂きに湯気くゆらせてカップ麺 与太郎
1点/選者=みみず
苦楽亭 評
頂き、てっぺんのこと。それとも三角錐の麺の器のこと、山の頂きなら「に」ではなく「で」の方が良いのでは。「に」だととんがった器かなと思ってしまう。
稚女 評
三分間ののちカップの上紙を開けると湯気があがる。しかし夏場は冷房のキンキン聞いた部屋の中でないといただきから湯気はかすかにしか見えない。また中七の動詞、燻らすは煙が立つとか、燻らせるという意味になるので、この句の場合は立てるとか立ち上るになるのではないでしょうか? カップ麺の意外な姿が見えず頂けませんでした。
すみれ 評
「頂きに」が理解できなかった。カップ麺にお湯を注ぎ3分間待ってフタを開けた時、湯気がゆるやかに立ち上がる様子か?湯気だけでなく香りも感じさせてくれてはどうでしょうか。「山頂」と捉えられなかった。
十忽 評
温泉マークみたいな状態ですか。鑑賞する以前に拒否反応が……。
鉄平 評
無季の句。頂きは山頂と解釈。ただもしそうなら上五は「山頂に」のほうがよいのではないか。作者は頂きで作ったカップ麺の「湯気」に感動を覚えた。その湯気は家で作るカップ麺の湯気とは別物だったはずだ。湯気はどこでも大体くゆっているものだ。頂きで見た湯気を見せて欲しかった。
智 評
登山で山頂に入るのだろうか。心地よく疲れた身体が、湯気を立てているカップ麺を待ちわびている情景が浮かんでくる。「湯気くゆらせて」をもう少し間接的な表現でできたらよかったようにも思った。
日の丸が吹かれ夕焼けカップ麺 みみず
1点/選者=稚女
苦楽亭 評
オリンピックの句か。よくわからない。
稚女 評
日の丸といえば国旗のことだろうか?吹かれている夕焼けの中のカップ麺、吹いているのは風だろうか、世論だろうか国際情勢だろうか? 日の丸の国は今や夕焼け状態なのかもしれない、あるいはカップの中の麺のように熱湯を待っているのかもしれない。
すみれ 評
夕焼けの空に日の丸が風に吹かれている風景。作者はカップ麺を食べながら日の丸を見ているのだろう。日の丸の位置が気になった。私の小さい頃は祝日には日の丸を掲げる家も多かったが、現在は見る機会が少なくなった。
十忽 評
理解不能です。
与太郎 評
風に吹かれている日の丸。その背景に夕焼け。それを見ながらカップ麺を食べる。……情報が足らず、何に心が動いたのか、よくわかりませんでした。
鉄平 評
季語は「夕焼」。上五中七は光景が浮かぶが、カップ麺との関連性がわからない。下五はカップ麺ではなくとも成立してしまう気がする。
智 評
日の丸と夕焼けの太陽との対比だろうか。ややありきたりな感じがした。
宮原 評
あああ
野村 評
あああ
夏の夜の緊急速報カップ麺 すみれ
人4点/選者=十忽、めんこ、風樹、野村
苦楽亭 評
7月は大雨が多かったから、非常食として用意はした方がいい。
稚女 評
この時期、緊急速報というとコロナ関係の新情報かなと思う。感染者数増加の一途を辿る東京ではいつまた次段階の緊急措置が発表されるか不安な夏が続いている。次の自粛生活はカップ麺で乗り切ろう……というような句意でしょうか? 中七と下五の関連性を感じさせるものがもう少し欲しい。
十忽 評
〇〇川の堤防ががまもなく決壊します。おちかくの避難所に緊急避難してください。非常食のカップ麺を持参するのをお忘れなく。と解釈できたので一点。
与太郎 評
夏の夜に緊急速報が鳴り響く。あわててカップ麺のありかを探したのか、ちょうど食べていたのか。中七で切れているとすると、付きすぎだし、いずれにしても下五の繋がりがわかりませんでした。
鉄平 評
季語は「夏」。暑い夏の夜、突如スマホから緊急速報の警報が鳴り響いたのだろうか。カップ麺は防災品ということだろうか。詩を感じられないのと、お題の「カップ麺」がうまく生かされていないと感じた。
智 評
カップ麺を食べていて、緊急速報にびっくりした場面だろうか。情景はありきたりだが、緊張感は伝わってくる。
野村 評
瞬間的にあの張り詰めた空気を思い出しました。
嵐過ぐ水で戻したカップ麺 めんこ
2点/選者=智、十忽
苦楽亭 評
あまり美味しそうじゃない。
稚女 評
なんと不味そうな、嵐が過ぎたのならほっとしてせめてお湯で3分待ってカップ麺を味わって欲しい。
すみれ 評
嵐の過ぎた後、停電などでお湯が出ず麺を水で戻したのか? お湯だと3分だが、水だと長い時間がかかり、味も美味しくない。「水で戻した」は必要にせまられたのでしょう。
十忽 評
酷い嵐の過ぎた後、電気もガスもアウト。やむなく水で戻したカップ麺で空腹を満たした。と解釈できたので一点。
与太郎 評
避難所での風景でしょうか。失礼かもしれませんが、これだけだとリアリティというか、当事者という感じがあまりしませんでした。当事者にしか見えないものが見えるとよりぐっと伝わってくる気がします。
鉄平 評
無季の句。句から想像するに先日の「令和2年7月豪雨」の事だろうか。上五は季節感を出すなら「夏嵐」となる。「台風過ぐ」や「台風一過」のほうが季節感が感じられて良いのではないか。中七の「水で戻した」は、嵐で作者の家が停電となり湯が沸かせず、仕方がないのでカップ麺に水を入れてふやかし食べたという意味だろうか。説明的というか散文的に感じた。もっと水で戻したカップ麺をクローズアップして、そこだけを切り取ったほうが良い気がする。
智 評
嵐でライフラインが寸断され、お湯を沸かすことができず、仕方なく水で戻して空腹をしのいだのだろうか。漠然とした不安が迫ってくる。
盂蘭盆は帰る人なくカップ麺 智
地5点/選者=十忽、宮原、風樹、野村、与太郎
苦楽亭 評
今年のお盆はだあれも帰ってこない。御馳走も作らなくても良い、母親は農協の売店にカップ麺買いに行きました。
稚女 評
旧盆の仏事は8月13日で既に秋。この句は目下のコロナ社会の影響で帰郷できない人のことを詠まれたのだろうか? この句の流れだと帰郷してくる人がいないこの夏、盆料理もなくカップ麺でもたべるか……と言っているのかな?或いはテレビで帰郷する人が殆どいないというニュースを見ながらカップラーメンを食べている第三者でしょうか? 中七でもう少し明確にして欲しい。
すみれ 評
正月とお盆は故郷に帰省する人が多く親族と再会する機会だが、コロナの影響で帰省できない現状を詠んだ句。故郷の賑わいもない。寂しい2020年の夏である。「盂蘭盆は」は「盂蘭盆に」でもよいのか?
十忽 評
コロナ騒ぎで郷里の墓参りもできない。両親からは帰ってきてもらっちゃ困るって言われたし……みんなで宴会することも、外食することもなくなったので、田舎の両親は二人だけでカップ麺を啜っているのだろうなあ……侘しさと悲しさも感じられたので一点。
与太郎 評
毎年お盆には、帰ってくる人のために様々な料理を作っていた。あの人はこんな料理が好きだった。せっかく帰ってくるのだから、地元ならではの料理を振る舞おう。子供のころはあんな料理が好きだった。と考えながら作る料理は、大変だけど、楽しかった。しかし……今年は帰る人もいない。張り合いもなく、自分が食べるだけならまあカップ麺でいいかな、となってしまう。不思議なものだ。
鉄平 評
季語は「盂蘭盆」。今年はコロナの影響で里帰りできない人が大勢いる。それを詠んだのだろうが、出来事をそのまま言っているだけなので、作者の発見を知りたい。
宮原 評
今年のお盆はこのような家がどれだけあるのだろうか。帰ってくる子供や孫たちをご馳走で歓待しようと張り切ってあれこれと計画していたけれど、コロナ禍でそれも叶わず……。何もやる気は起きず、今夜はもうこれでいいやと啜るカップ麺はどんな味がするだろうか。
野村 評
この時勢で会う事も叶わず、さみしくカップ麺をすすっている気持ちが伝わりました。
カップ麺ひとりふたりとしてかぞえ 風樹
地5点/選者=智、みみず、鉄平、苦楽亭、与太郎
苦楽亭 評
大家族で外は大雨。非常食として用意したカップ麺取り出して、人数分あるか数えている。一人二人と数えるところに緊張感がある。
稚女 評
無季の句。カップ麺をあの人にこの人にとかぞえながら用意したのだろうか?残念ながら意味を解釈できませんでした。
すみれ 評
正式にはひとつ・ふたつ(1個・2個)と数えるが、「ひとりふたり」と数えているのは、カップ麺と対応して数える子どもの姿が浮かぶ。
十忽 評
かなり無理がある数え方だと思います。
与太郎 評
「として」が不要。「カップ麺ひとりふたりとかぞえ」で何故いけないのでしょうか? その上で、カップ麺を人数で数える意味があまりよくわかりませんでした。「として」か無くなれば、それはそれでミステリーの要素も出てくる気がしますが、説明はいけません。
鉄平 評
無季の句。カップ麺を何人かに配っている風景だろうか。配り手がカップ麺を指差しながら「ひとりふたり」と数えている。どのような状況だろうか。物語の背景がわかる何かがあるとより句に広がりが出る気がする。
智 評
食べさせる人のことを思ってそのように数えたのだろうか。優しい気持ちになる。
(前書)カップヌードル 宇宙食となる
宙(そら)よりのカップ麺の香下弦の月 苦楽亭
3点/選者=稚女、宮原、すみれ
稚女 評
カップ麺が宇宙食に採用されたことは知りませんでした。しかし、カップラーメンの香りが宇宙から届くという表現には無理があるように思います。宇宙とカップラーメンという材料を使ってもっと想像力を駆使した俳句を味わいたい。
すみれ 評
宇宙船の中で食べるカップ麺の香りが下弦の月に届くなんてスケールの大きい句。秋は星空の美しい季節。下5の「下弦の月」がよい。「下弦の月」でなくてもよいのか?
十忽 評
気持ちはわかりますが、理解不能です。無理があるのにも程がある、と思いました。
与太郎 評
前書きがなくてもいいなあ。説明されちゃうとつまらない。宇宙からカップラーメンの匂いがふってきた、だけでじゅうぶんロマンじゃないですか。正し、下五の下弦の月は付きすぎです。それよりも、その香りが届いたときの心の動きを、もっと伝えてほしかったです。もちろん情景描写でそれができればなお最高だと思いますが。
鉄平 評
季語は「月」。季節的にはまだ早い気がする。下弦の月はカップ麺の皿のイメージか。ならば素直に「夏の月」でも良い気がするが、どの月にしろ宙と月は付き過ぎな感がある。それとこの句に前書きは必要なのか。カップ麺が宇宙食になったのはだいぶ昔の事で、大体の人が知っているのではないか。添削次第で前書きや「香」を使わなくても表現できる気がする。壮大な句なだけにいろいろともったいない。
智 評
カップヌードルが宇宙食になったのは知らなかった。宙からもカップ麺の香りは届くのだろうか。この句では、前書がないと伝わるのは難しいか。
宮原 評
そのままカップヌードルのCMになりそう。
カップ麺食う背な丸くなお丸く 宮原
天6点/選者=智、鉄平、めんこ、苦楽亭、すみれ、与太郎
苦楽亭 評
そう、ラーメン食べる時、背筋真っ直ぐで食べている人はいないだろうな。背中丸めて麺だけを見て、よく観察している。
稚女 評
乱暴な句という印象でした。カップ麺を食べているのは人なのか背中の丸い動物なのか何故どんどん丸くなるのかのヒントがない。「食う」という表現なので敬意を表する相手ではないようだし、もう少し語って欲しい。
すみれ 評
「背な丸くなお丸く」のリフレインがよい。自分では気付かない姿勢を相手はよく見ている。私も友達から「背中が丸くなっている」と気付かされたことがあり。気を付けようと実感した句。
十忽 評
この句、今回の兼題句の中ではかなりいい感じでした。でも、昔の漫画にラーメンをこよなく愛した小池さんという人がいたのを思い出したので、残念ながら次点とさせていただきました。わたしの句評も意味不明ですね。
与太郎 評
日常に密着したカップ麺の情景をきちんととらえた良い句だと思います。ただ、丸くをリフレインで表現するのは、ありきたりな感じがするので、新しい表現を見つけられると更に良い気がします。
鉄平 評
無季の句。誰かが背中を丸くしてカップ麺を食っている。ただこれだけだと食っているのは誰なのかがわからず読んだ後に余韻がない。例えば「背な」を「父」にするだけでも景が具体的になってきて何か物語性を感じられるのではないか。
智 評
細々とカップ麺を啜る独身男の哀愁漂う背中がありありと浮かんできた。
キャンプにはカップラーメン妻の言う 十忽
無点
苦楽亭 評
キャンプでも山でも海でも、カップラーメンは美味しい。おい大将しっかりしなよ妻の言うだ。
稚女 評
普段はカップラーメンは食べないけれど、登山やキャンプ場では美味しいし簡便なので持って行ったことがある。きっとこの奥さんもそれを知っているのだろう。しかし、取り立てて下五に妻の言う……と詠んだ本意はなんだろう? 中七が『カップラーメン妻』と呼んでしまわれないようにカップラーメン「と」……としたらいかがでしょうか?
すみれ 評
夏の楽しみはキャンプ。キャンプでの定番メニューはカレーとカップメンですね。
与太郎 評
「妻が言った」から何だというのでしょうか? これは「おのろけ句」ですね。「ごちそうさま」としか言いようがないです。というのはさておき、夫婦の価値観の違いを詠んだのかもしれませんが、あまり対立感が響いてきませんでした。
鉄平 評
季語は「キャンプ」。夫の手の込んだキャンプ料理を見て、普段は何もしないくせにといじわるで妻が言い放った一言なのだろうか。ただの報告に過ぎず、詩になっていない気がする。
智 評
妻は何を思ってそういったのだろうか。料理するのが面倒くさいからか、非常食としてか。何となく夫婦の関係性が脆弱なのかな、という印象。読者の受け取り方で色々解釈は変わってくると思った。