俳句結社 柳橋句楽部

師匠なし、添削なしの自由気ままな俳句の会です。メンバーおのおので句評をぶつけ合います。月1回、都内某所で開催(現在はコロナにつきビデオ句会が主)。会員12名。句評(句の感想)のカキコミお願いします! また、仲間を募集中。興味ある方はぜひご連絡ください。

第303回句会報告【兼題句/お題「冴え、冴ゆ」】

12月28日に行った第303回句会「兼題句」報告です。お題は「冴え、冴ゆ」。

 

冴ゆ朝のコーンスープの黄の粒 稚女

人2点/選者=十忽、鉄平

苦楽亭 評
景をそのまま句にしてしまった、下5で説明してしまった。粒ではなく、動かしてみおたらどうだろう。

すみれ 評
冷えきった朝のコーンスープの一杯は身体を温めてくれる。ホッとする瞬間を表現。「冴ゆ朝」は「冴ゆる朝」としても良いのだろうか?

十忽 評
採らない理由を言うとしたら、上五は冴える朝の意味だろうが、中七に「コーンスープの」とあるために、冴ゆが白湯に聞こえてしまう。また下五の「黄の粒」の黄色は中七だけですでに表現としては足りている。と、なるのだが、句の素直さと景色にうなづいて採ってしまいました。

与太郎
冷える朝のコーンスープは身に沁みる。とくにその黄色い粒は、何故だか心をほっとさせる。わかるがとくに感動もない。

鉄平 評
寒さ厳しくなった冬の朝。朝食であろうか、コーンスープの粒に衝撃を受けた作者。コーンスープに黄色の粒は当たり前だが、しかしいつもと違う何かに衝撃し、感動を受けたのだ。それは単なる「黄の粒」ではなかったはずだ。おまけだがコーンスープから「冴え」を発見した作者に一点。

智 評
寒さ厳しく慌ただしい朝の中で、ほっと一息している場面が目に浮かぶ。コーンが黄色いことは当たり前なので、「黄」を何か別の言葉で表現できるとよかったように思う。

 

都会の夜トランペットの冴えた音色 庵々

無点

苦楽亭 評
古い日活映画を見ているような句。

稚女 評
都会という漠然とした場所しか提示されていないので、誰がどのような場所で吹いているのか、作者は「冴えた』と詠まれている冴えた音色をイメージさせてくれるものが見当たらない。

すみれ 評
トランペットの音色が響きわたる都会の夜を詠んだ句。「冴えた音」と表現しても良いのかな?

十忽 評
夜のトランペットの音色、これだけありふれたものを並べられては食傷気味です。

与太郎
都会の夜にトランペットの音色が響き渡る。それだけの句。「都会」であることにどれだけの意味があるのか。

鉄平 評
川端で練習するトランペットではなく、わざわざ都会と言っているのでジャズバーなどのトランペットだろう。「都会の夜」「トランペット」「冴える」の3つは、「トレンディドラマ」「ユーミン」「W浅野」ぐらい付き過ぎではないでしょうか。

智 評
目の前で聞いているというより、都会の喧騒の中からそれを切り裂くように聞こえてくるところを想像した。

 

月光冴えて眠る人迷う人 苦楽亭

天4点/選者=すみれ、庵々②、与太郎

稚女 評
月の光があまりにも美しくて、その中で夢みる如く眠っている人もいれば美しすぎる光にもの思う気持ちが高まり眠れない人という句意でしょうか?月光冴えた夜にもう少し物語して欲しい。

庵々 評
上五中五下五の句。その足りなさが残るものの、「月光冴え」つまり「冴え」の状況、状態がうまく表現されている。冴えた月光の下の家々、屋根の下で眠る健康な人々。迷える人が面白い。

すみれ 評
師走の満月を想像。月の光が冴える夜……。月の美しい夜なのに、眠る人はいる。迷う人は何に迷っているのだろう?眠ることに迷っているのだろうか?いろいろな迷う人を想像した。

十忽 評
句意はわかりますが、「月光冴えて」でギブアップ。

与太郎
月の光が、ますますコントラストの強い光を放つ。その光は、眠る人や迷う人を浮かび上がらせる。眠る、迷う、をもう少し具体的な行動で見せてくれた方が、もっと具体的にイメージできた気がします。

鉄平 評
「月光冴えて」に続く「眠る人、迷う人」がどちらも説明のみになってしまっている。迷う人は作者が発見した具体的なものにしたほうがよいと思う。

智 評
月光のもつ、人を惑わす妖しさが感じられる。

 

風冴ゆる折り鶴が向くその向こう 奈津

天4点/選者=苦楽亭、十忽、めんこ、みみず

苦楽亭 評
風が冴えるとゆう表現は初めて聞いた、この折り鶴は祈りが込められていて、いつまで経っても同じ状態、でもその向こうを信じてるとゆう句かな。

稚女 評
「風冴える」ということは風はふいているのだろうか、冴ゆという季語には「冷え切る」「澄む」「鮮やか」などという意味があるという、寒さ、冷たさが一層極まる感じともいう。冷え切った風の中折り鶴はその風に吹かれて動いているまるで、飛び立つかのように折り鶴が向かうのはどこだろう?

すみれ 評
吊るされた折り鶴が風により、向きを変える。鶴の向いた方向に何があるのだろう……。幸せ、希望?鶴に新しい年への希望を託している句。

十忽 評
折り鶴のくちばしが向いた方角については何の説明もないのだが、その方角にあるのは何だろうかと想像させられるその領域の大きさに惹かれていただきました。

与太郎
すみません、よくわかりませんでした。

鉄平 評
柳橋句楽部にちょくちょく出てくる「その向こう」。効果的に使う分には良いと思うが、思わせぶりで終わってしまっている感がある。何かワケありな風景を見せてくれそうな句だったので、その向こうを見せてほしかった。

智 評
折り鶴が冷たい冬の風の中で、その風によって揺らめいている。折り鶴が向くのは風が過ぎ去る方向。その風はどこへ消えてゆくのか。折り鶴はそこに何を見ているのか。何となく儚い感じを抱いた。

 

冴え冴えと種族の年表終わりけり 鉄平

天4点/選者=奈津、苦楽亭、稚女、与太郎

苦楽亭 評
人生もこのように終わりたいものだ、種族の年表がいい。

稚女 評
近年の気象の変化に伴い地球上の生物の存続が危ぶまれています。我々地球人に彼らの生命を途絶えさせる権利はないはずなのにどんな生物の終焉を描いたのかは不明だが、寒々とした怖さを感じさせられた句。

すみれ 評
「年表終わりけり」で、新年号に変わったことか?民族や消えていく動物・植物のことか?「種族」の意味の捉え方が十分理解出来なかった。

十忽 評
中七の「種族の年表」だけでは句意が伝わらない。

与太郎
句評待ち

智 評
「冴え冴え」は寒さの中にも透き通った印象を与える。人種の違いで争う不毛な時代は終わらせたいという願いが込められているのだろうか。

奈津 評
国それぞれの1年で行事や、すべきことは違うけれど、365日その年が終わり新しい年がはじまるのはみな同じ。私は私のできることをやって今年一年本当に充実した年になりました。来年ももっと楽しく良い年に成りますように。みなさん良いお年をお迎えください。

 

三絃の二上がりの音の冴ゆる夜 十忽

天4点/選者=智②、すみれ、めんこ

苦楽亭 評
トランペットといい、三絃といい、夜でないと冴えないのかな。

稚女 評
三味線の二上がりの音がどような響きになるのか分かりませんが上がるということは高い音になるのだろう。三味線を弾く人の技量もあるだろうが、冬の夜の静けさの中できく三味線の音はいいものだろう。この句の中7、「音」は必要でしょうか?

すみれ 評
二上がりの音」はどんな音なのか分からないが、冬の寒空に響きわたる三味線の音。どこからともなく路地から聞こえてくる音に風情を感じる。

与太郎
句評待ち

鉄平 評
打楽器でも吹奏楽器でも冬は音が「冴ゆ」なのではないだろうか。分かりきった「冴ゆ」ではなく、作者が発見した二上がりの「冴ゆ」を聞かせてほしい。

智 評
どこからか三絃の音が聞こえてくる。耳を澄ますと夜の静けさの中で音階の変化もしっかりと聞き取れる。その音に耳だけでなく、心も引き込まれていく様子が浮かんでくる。

 

金属音脳に刺さりて冴ゆる月 めんこ

地3点/選者=奈津、みみず、庵々

苦楽亭 評
金属音がわかりにくい。

稚女 評
はてさてこの金属音はなんでしょうか?確かに甲高く細い音は脳を刺激するものだ、例えば歯医者の歯を削る機械音などは脳に近いところでの音ゆえたまらない。上五、中七が呼応し合っているかで評価される句と思う。

すみれ 評
寒さが極まった冬の夜、キーンと響く音を詠んだ句。

十忽 評
上五で歯が浮いてギブアップ。狙いはよくわかるのだが、冴え方が生々しくて詩情が感じられません。

与太郎
句評待ち

鉄平 評
耳を覆いたくなるほどの金属音が直接脳に刺さってきた。どんな金属音だろう。もみじおろしで指を擦ったような、林家ペーの衣装のような、ピカチューの尻尾のような、金属音で済まさずに作者にはもっともっと発想を飛ばしてほしい。

智 評
金属音は高音域であり、脳を貫くほど冷たく鋭いことはよく体験する。月の光の冷たさが、更にその金属音を冷たく鋭くしているような印象。

奈津 評
金属音やモーター音がすると眠れないんですよね。いっそのこと金属音月に刺さりて冴ゆる脳にしていただいてたら3点でした。

 

寒空や管制塔の光冴え 智

人2点/選者=すみれ、めんこ

苦楽亭 評
解るのだが、管制塔だけが光っているのは無理があるかな。

稚女 評
管制塔を挟んで寒空も光冴えも同じようなことを表現しているように感じる。

すみれ 評
「寒空」と「冴え」で季語重ねになるが、「冴え」は季語とは受け取らず、鮮やかな光と捉えた。管制塔から飛行機に指示を出す赤や緑の色・指向指示灯を想像。色が見える句。

十忽 評
寒空と光り冴えがくっつきすぎていて句としては練りが足りないように思いました。

与太郎
句評待ち

鉄平 評
「冴え」を使えば冴えるものではないし、もともと冴えていると容易に想像できる物事に「冴え」は付きすぎになってしまう。それだけ「冴え」の使い方は難しい。「寒空」「管制塔」「光」は容易に「冴え」を想像でき、付きすぎと言わざるをえないだろう。

 

久方の外路や白線冴ゆひかり みみず

天4点/選者=奈津、苦楽亭、鉄平、与太郎

苦楽亭 評
久しぶりの外出、街路(外路)の白線が眩しい、面白いところに目をつけたと思う。

稚女 評
久方のを枕詞として解釈するのか、久しぶりの外歩きのような解釈をするのか?道路に引かれた白線が冴えた夜の光の中で、鮮やかにその白さを感じさせている。

すみれ 評
道路に引かれている白線が光っている。白が際立った様子を詠み、区画線に視点を置いた点が良い。

十忽 評
単語の羅列の域を出ていないと思います。

与太郎
句評待ち

鉄平 評
取った理由は「冴え」に対して何か新しいものを見せてくれそうだった点。「久方の外路」とは久しぶりの外出という事だろうか。言葉の選択がつたなく、分かりづらい。なぜ久しぶりの外出なのかも作者にしかわからず分かりづらい。こんなふうに推敲してみた。「けんけんぱ白線の冴ゆ退院日」

智 評
まっすぐに伸びていく路地の白線。寒さの中で光を浴びてその白い色が一層鮮やかに浮かび上がってくる。情景の中に潔さのようなものを感じた。

奈津 評
久方の外路、からどんな状況なのかはいろいろ想像できるけれど、白線に目が行ったのは下を向いていたから?あまりにも白く眩しかったから?そんなことがとても気になる句でした。

 

教会の屋根に十字架月冴ゆる すみれ

人2点/選者=智、稚女

苦楽亭 評
ドラキュラが出てきそうな句。

稚女 評
どこの教会にも屋根の上に十字架がある。当たり前の風景だが冴えた月の下でいつにも増して荘重な趣を感じる。

十忽 評
上五、中七、下五、揃って説明的過ぎると思いました。

与太郎
句評待ち

鉄平 評
教会の屋根には大抵十字架がある。作者はなにに感動したのだろうか。単なる教会の屋根の十字架ではなかったはずだ。

智 評
ヨーロッパの片田舎の古びた教会をイメージした。何百年も人々を見守ってきたであろう古びた十字架が、月光に照らされて幻想的に浮かび上がっている様子が目に浮かぶ。

 

モノクロの冴えの境界流血す 与太郎

天4点/選者=十忽、稚女、みみず、鉄平

苦楽亭 評
怖そうな句だが、読みきれない。

稚女 評
白黒写真では強烈に感じない流血だが、その境界をでてカラー撮影になった途端沢山の血が流れ出す。境界という措辞が適当かどうか疑問が残ります。

すみれ 評
モノクロとカラーの境界を「冴えの境界」と詠んだのだろうか?「境界」と「流血」で、民族紛争や国境紛争を考えた。

十忽 評
流血の原因となったと思われる「冴えの境界」はなる境界ではなく、物理的、精神的緊張感が漲っている領域である。季節的な一面を払拭した表現が素敵だと思いました。香港のデモを詠んだ句と捉えました。

鉄平 評
取った理由は「冴え」に対して何か新しいものを見せてくれそうだった点。一読して最初に浮かんだのは、黒澤明監督映画「椿三十郎」で有名な一対一の決闘シーン。三十郎のひと大刀が室戸半兵衛を斬る。モノクロ映画に突然、真っ赤な血がカラーで室戸半兵衛の体から大量に吹き出す。掲句もモノクロと赤の対比を演出しているが、脚本が読者に委ね過ぎな感がした。作者はどんなシーンを想定してこの句を作ったのか。あとひとつなにかがほしい。

智 評
モノクロがモノクロたるには、そこに厳然たる境界線が必要で、その境界をそれを引き立てるための色が必要ということか。「流血す」とあるが、何が血を流したのか、はっきり捉えられなかった。