俳句結社 柳橋句楽部

師匠なし、添削なしの自由気ままな俳句の会です。メンバーおのおので句評をぶつけ合います。月1回、都内某所で開催(現在はコロナにつきビデオ句会が主)。会員12名。句評(句の感想)のカキコミお願いします! また、仲間を募集中。興味ある方はぜひご連絡ください。

第298回句会報告【自由句】

7月20日に行った第297回句会「自由句」報告です。

 墓石を包み込むよに夏の山 智

地5点/選者=奈津、稚女、みみず、庵々、鉄平

苦楽亭 評
景はしっかりしてわかりやすいのだが、平凡な句。

風樹 評
夏の山が愛するものは、太陽と適度な雨、めいっぱい茂った木の葉と草たち、葉擦れの音をたてる爽やかな風と山の頂きを覆う霧の布団。そしておまけに、この夏の山は、墓石も愛しているようだ。おそらくこの山は、人の命の終焉とその後の沈黙を静かに癒しているのでしょう。この夏山は母のよう。母性をもった山に違いない。せっかくこんなに素晴らしい山を発見したのに「包み込むよに」とは何でしょうか。「---よに」は最悪なんです。たとえ話にしてしまうなんて、この山に失礼ではありませんか。この中七が完成するまで発表すべきではないとおもってしまうのです……。

稚女 評
実景を詠んだ句でしょうか? 夏の山々に囲まれて谷にある墓石は、まるで山々に抱かれているようだ。亡き人たちを静かに見守っているようにも見える。夏という燃え立つ季節ではあるけれど、ここに吹く風は優しい。包むという表現に少々違和感があるけれど燃え立つ夏の静かさ。

十忽 評
中七の「包み込むよに」がありふれている。

すみれ 評
7月はお盆。お墓参りの様子が思い浮かぶ。山すそにある墓の周りは夏の強い日差しを受けた草木が生い茂っている。「包み込むよに」に表されている。田舎の風景とお盆の行事が懐かしい。

与太郎
もう一歩、感動したことに踏み込んで伝えてほしかったと思います。

鉄平 評
人間が眠っている墓石を、夏の山に生きる自然や獣たちが包み込んでいる。死してなお、まるで母の腕の中で眠る赤ん坊のような、夏山特有の蝉時雨の中の静寂が感じられて、心地の良い句でした。「包み込む」は比喩ですので、そこにさらに「よに」とつけてしまった点が句を弱くしています。「包み込むよに」と言わずに、そう感じさせてくれたら文句なしでした。

奈津 評
墓石にゆっくりと少しずつかかる影。作者がこの墓の人との思い出を静かに思い返す時間も包み込んでいるような優しい情景。

 

告げずしてひとり眺めいる夕虹 稚女

人3点/選者=すみれ、みみず、智

苦楽亭 評
リズムが悪い、整理することはできる。

風樹 評
中七の表現を見ると、この句の主体が第三者であることを感じさせます。主語が作者自身であれば「ひとり眺めいる」とは表現しないでしょう。しかし、上五「告げずして」は第三者には知ることのない内面を表します。はたして夕虹を見ているのは誰なのか。下五に集約した「夕虹」の重要性、この虹のことは誰にも知らせない。私ひとりで見るという強い信念だけは明確に伝わります。そんなにケチ臭いこと言わずに、みんなにもつたえましょうよ。その心がなぜか読者に「夕虹」の景を浮かばせないのではないでしょうか。

十忽 評
上五の「告げずして」が誰に対してなのかよくわからない。そのために句全体の印象が希薄になっていると思う。

すみれ 評
友人の母親の告別式のあとに大きな虹がかかった。孫の「おばあちゃんはあの虹を渡って天国に行ったんだね」の言葉に、家族か虹に見入っている情景と重なる。動きむせずにじっとひとりで夕虹を眺める作者の後ろ姿が見えて来る。

与太郎
もっとすっきりした言葉のほうが伝わってきた気がします

鉄平 評
敢えて告げないのか、それとも告げられないのか。いずれにしろ一人で夕虹を眺めている姿は、悔やんでいるように見えました。「ひとり」と「いる」がくどく感じました。ハッとさせてくれる何かが欲しかったです。

智 評
美しい風景を独り占めしている心情が伝わってくる。


日々草明日咲く色はきっと赤 みみず

地5点/選者=奈津②、鉄平、めんこ②

苦楽亭 評
言い切ってしまう強さはあるが、何を読みたいのか解りにくい。

風樹 評
日々草明日咲く色はきっと赤明日はきっと赤い花が----と、期待と願望を日々草にこめて、今日を過ごします。作者の生活感情の断片をちょっと、さらりと、述べました。だから、この願望は薄く、期待は軽いものなのでしょう。切実が感じられない期待は、読者の共感も薄く、軽くなるのはやむを得ません。むしろこの期待感は、それよりも、ちょっと洒落た味わいの俳句をひねってみようという期待の方が先行してしまっているようです。何を書こうかと捜す前に自らの心の中を旅することが大切なのではないでしょうか。 

稚女 評
日日草は可憐な花ながら、丈夫でほとんど世話をしなくても毎朝、花を開いて楽しませてくれる。この句の作者の思いは「きっと」に表現されている。分かりやすい句ではあるが意外性に乏しく魅き付けられないのは残念だ。

十忽 評
句の世界に驚きも新鮮さも感じられない。

すみれ 評
毎日新しい花を咲かせる日々草。炎天下でも元気に咲く花の姿は作者に元気を与えてくれているのでしょうか?赤色が咲いてほしい…と願う気持ちが強い。

与太郎
すみません、ちょっとよくわかりませんでした

鉄平 評
スマホで撮った日々草はなんか元気なく見える。今の私の気持ちが写真に表れたのかもしれない。それでも日課のインスタアップはサボらない。このひと言を添えて…、てへぺろ。赤色の日々草には特別な意味があるのでしょうか。きっと作者にしか分からない何かがあるのでしょう。その何かをチラ見させて欲しかったです。

智 評
「きっと」という言葉に、作者の願いとわくわくした心情が感じられた。

奈津 評
赤とわかっていて、きっとという作者の揺れ動く気持ちが気になって仕方がない

 

黒南風や網を繕うのは誰だ 十忽

1点/選者=智

苦楽亭 評
黒南風だとどうして網とくるんだろう、横浜を読んでみればいいのに。

風樹 評
梅雨空をおおう雨雲の下を吹き抜ける南風を「黒南風」といいます。決して気持ちのよい風とは言えません。黒南風の日には漁師さんは海にでないのかどうかは分かりませんが、海岸では誰かがしきりに網を繕っているのですね。漁師さんが網を繕うのはごく自然なことですが、作者はどうやら異変を感じているようです。危機感さえただよいます。でも、なぜか読者にはこの危機感が伝わりません。“誰だっていいじゃないか”とさえ思ってしまいます。なぜでしょう。

稚女 評
黒南風とは梅雨時の南風のため天が暗くなることを言う。この句の網とは漁網のことで、漁網を常に繕うのは漁師だろう?。。。待てよ、あるいは「老子」の「天網恢々疎にして漏らさず』の網だろうか?そういえば、この梅雨の最中に逃避行をした男も結局は網にかかったなあ。

すみれ 評
梅雨時の黒い雨雲の下を吹く風。その風に吹かれながら浜辺で、破れた網を繕っている漁師の姿を想像した。大漁を願って…。

与太郎
漁師かその関係者だと思います

鉄平 評
この句の黒南風は真っ黒な南風。とある漁村の小屋の中で網を繕う物陰が。「きみはこう言いたいのでしょう。イシャはどこだ!」つげ義春不条理マンガのような世界に迷い込みました。

智 評
黒南風で打ち付ける波を背に、黙々と網を繕う漁師の姿が浮かんでくる。老人と海のよう。

 

思春期め把手(はしゅ)たらんたらんの浄水器 鉄平

2点/選者=苦楽亭、庵々

苦楽亭 評
浄水器をどう読んだらいいのかがポイントだと思うのだが、思春期は、たらんたらんだろうな、様子はわかる句。

風樹 評
一読、二読、三読して分かりません。作者は思春期を怒っているようです。把手が“とって”ではなく、なぜ“はしゅ”なのか分かりません。“たらんたらん”とは何なのか。何かオノマトペのようですが、判然としません。浄水器と思春期の出会いに何か意味がありそうです。この何かに俳味をもたせたのかもしれません。意味がありそうで、ぶつかることなく、すれ違ってしまいます。ひとつイメージしたのは、浄水器からポタリポタリと滴が漏れている様子です。きっと把手がきっちりとしていなかったのでしょう。たらんたらんと落ちる滴がなぜかいつまでもいつまでも耳に続きます。この音を聴いて、作者は思春期を憎みつづけます。このシュール感、ユーモア感。

稚女 評
今の若い者め。。なのか、思春期の頃の私め。。。なのか。どちらにしてもこの「め」に何かの思いがあるようだ。中七は急に表現材料が変わって、把手たらんたらんのと続くのだがこれはしっかりと閉めなかった蛇口より水がポタリポタリと落ちる様、そして下五は浄水器とくると、浄水器の把手をしっかり閉めないから、ほらまた水が漏れているよ。清浄な水のごとく生きていこうと試みても思春期とはなぜかどこからか水の漏れてしまうような閉まらない時代なのだ。あるいはそんな思春期の悔恨の句か?

十忽 評
目の付け所はいいのだが、中七しまらない。

すみれ 評
難しい年頃の子ども達。把手は取っ手…。思春期の子ども達を上手にリードしていく様子なのか? 「把手たらんたらん」は十分理解出来ませんでした。

与太郎
まったくわかりませんでした。

智 評
「め」という言葉に、把手を握る手の力強さを感じる。

 

アルミニウム個室トイレの時空旅 与太郎

人3点/選者=稚女、苦楽亭、十忽

苦楽亭 評
アルミのトイレか時空旅で飛行機だろう、飛行機のトイレは個室だろう。立って、作ったの座って作ったの、面白い句。

風樹 評
アルミニウムで出来ている個室トイレの中で、作者は格闘しています。きっと今日で三日目にもなって、まだ兆候もない。作者にはこの苦しみが三日どころか三週間、三ヶ月とつづいているようにも思えてしまうのです。トイレはアルミニウムで外界からきっちり隔離されています。さあ、タイムトラベルの出発です。エンジン全開で時代をあちらこちら旅をします。いっそ生まれ変わってしまいたいとさえ思ってしまうのです。あゝしかし、努力むなしく、トイレには水だけが勢いよく流れ去って、今日の旅もおしまいです。

稚女 評
飛行機の中のトイレが思い浮かびました。時空を超えて,目下人類の一般に使う交通手段の最速の乗り物が飛行機だ。この句で作者の思いは、時空旅が焦点になっているのだが、もしかして作者は旅をしているのは有機物体の人間さまではなく、無機物体のアルミニウム個室トイレなのだと詠んだのかもしれない。トイレの旅は面白い。

十忽 評
目の付け所が新鮮です。

すみれ 評
乗り物の中の個室を想像し、ユーモアのある句。句の中での「トイレ」と言う言葉が気になった。句会では初めて登場した言葉かな?下五の「時空旅」はいいなと思う。

鉄平 評
将来タイムマシンで時間旅行が出来たら、到着までそれなりに時間はかかるのでしょうか。だとすると食事は必要で、当然トイレも設置しているのでしょう。時間のはざまでする用足しはどんな気分でしょうか。

智 評
片仮名のせいか何となく硬すぎる印象だが、時空旅というSFっぽい感じにはその方がいいのか。

 

長雨に膠乾かず琥珀の蚊 めんこ

天7点/選者=苦楽亭、すみれ、風樹③、与太郎

苦楽亭 評
琥珀の蚊か、見てみたい。

風樹 評
美しい琥珀を、膠を使って何か細工している景でしょうか。琥珀の中に、生まれた頃の時代の蚊が埋められてしまっているのでしょうか。あるいはたまたま蚊状の疵が入っているのでしょうか。高い湿度の長雨がつついていて、細工しづらいと作者は嘆いていますが、この嘆きは同時に、閉じ込められている蚊の心情かも知れません。繊細な手作業をする職人さんの手と琥珀の中の蚊の、絶妙な対話と共感があります。何より句全体を占める緊張感がみなぎっています。身を律するごとき、立ち上がった揺るぎない十七文字。作者の姿勢のひたむきさが作品に込められ、読む者に率直に伝わるのです。気取りもなく、いたずらに言葉をいじめることもなく、姿勢をなよなよと崩すこともなく、この真摯さが作品をも直立させているのです。すばらしい一句を読ませていただきました。

稚女 評
膠も琥珀も見たことがなく、全く想像の域を出ない句。膠は物を接着するのに使用すると辞書で知ったが、それと琥珀との関連性が那辺にあるのか、もしかしたらその色彩の相似か、永遠に止みそうもない雨と地質時代の産物との呼応を読んだのだろうか?

十忽 評
中七、下五で説明してしまった。

すみれ 評
雨の為、なかなか乾かない膠。乾かないままの「膠」に蚊が飛び込んだのであろうか?琥珀に虫が入っている「虫入り琥珀」を想像した。視点が良い。

与太郎
時の流れを感じました。雨の降る季節の時間、膠が乾くという目の前の時間、そして古代から閉じ込められている琥珀の時間。流れる速さの異なる複数の時間が、折り重なるように流れています。

鉄平 評
上五中七と下五がつながらず、景色や物語が頭に浮かびませんでした。この二つにはどんな関係性があるのでしょうか。

智 評
膠のじっとりとした感じと、琥珀の幻想的な美しさとの対比がよかった。

 

ラジオ体操で知らされる夏の朝 庵々

1点/選者=すみれ

苦楽亭 評
まだ、早いでしょう。

風樹 評
夏の朝6時半、公園のラジオ体操に参加して、何か知らされたといいます。いったい何を知らされたのでしょうか。「夏なんだなぁ」と季節の移ろいを知らされたとしたら、ちょっと残念。何を知らされたのかは言いませんというなら、もっと残念。そこのところは読者にお任せしますと言うなら、読者は途方に暮れるばかりです。

稚女 評
この句で「知らされた」のは、夏の朝のラジオ体操の音楽を夏だ~と感じたのか、あるいは久しぶりにラジオ体操に参加したら気持ちの良い夏の朝だな~と思ったのか、どちらだろう?作者が知らされたのはなんなのか知りたい。

十忽 評
句としては散文的すぎるとおもいます。

すみれ 評
夏休み中の朝の場面。ラジオ体操の曲が「うるさい!」と苦情もあるが、異年齢集団での体操は懐かしい夏の朝の情景。スタンプをもらい笑顔の子ども達です。

与太郎
「知らされる」は説明しなくても良いと思います

鉄平 評
夏になったなあと実感するタイミングはいろいろありますが、この作者はラジオ体操の最中に夏を感じたのでしょう。感じたのは腕を上げたとき? ステップを踏んだとき? 第一、第二? 少しだけ清々しい気持ちになれました。

智 評
ラジオ体操と言えば夏だが、当たり前すぎるかな、という印象。

 

蝉よまだ眠るか雨よ静か静かに 苦楽亭

地5点/選者=十忽、みみず、庵々、智、与太郎

風樹 評
作者はしきりに蝉と雨に何かを訴えています。どうやら季節の移ろいの鈍さに憤っているようです。なぜそんなに、移ろいゆく季節を早く見たいのでしょうか。もっとゆっくりと今の季節をたのしめばいいのに、と思ってしまいます。もしかしたらこの心境、老人特有の心持ちなのではないでしょうか。年齢とともに月日の経つのが早く感じてしまうあの心理です。老人のつぶやきは危険です。世間に対して文句ばかりになりがちです。いちどはき出して洗剤でしっかりと洗ってから再構築して、俳句に育てていく作業が必要なのではないでしょうか。

稚女 評
蝉は誕生から一週間の生命を精一杯鳴き、土に帰るという。その生命は人生100年などと言われる人間の生命から数えれば、一回の瞬きより短いものだろう。そんな生き物への思いを詠んだ句と思うが、5、7、7の作品に少々思い込み過剰を感じた。「蝉よまだ眠るか」は「蝉眠る」にした方が蝉に焦点が当たるように思うのだが。

十忽 評
三好達治の「太郎を眠らせ・・・」を想起させるいい句だと思いました。眠っている蝉を起こさないように静かに振ってくれ、雨よと語りかける作者の心使いがいい。

すみれ 評
蝉の声が今年はまだ聞こえてこない。幼虫は梅雨寒の為、地上に出て来られないのだろう。作者は雨が静かに降り、蝉が一斉に鳴き出すような梅雨明けを待っているのでしょう。

与太郎
静かを言わなくても静けさは伝わってくると思いますので、別の祈りの言葉のほうが良い気がしました。が作者の思いは伝わってきました。

鉄平 評
四畳半ひと間のぼろアパートで苦悩する男。プロの歌手を志している。若くないし、いつまでも流しのおひねりでやってられない。自分の曲を作るんだ。しかし全くよい詩が浮かばない。窓を開けると外は雨。ギターを爪弾きヤケになって口ずさむ。「♪蝉よまだ眠るか雨よ静かに静かに」。地中の蝉に目覚めの日は来るのか。

智 評
うるさいはずの蝉すら包み込む自然の静寂な美しさを上手く表現していると感じた

 

時々は通路を横切る吸血鬼 風樹

1点/選者=めんこ

苦楽亭 評
何を読みたいのか。

稚女 評
この吸血鬼が蚊のことであることは判明するけれど季語の「蚊」を入れれば、しっかりと湿度の高い日本の夏を彷彿とさせてくれる。この文字を見ただけでどこかが痒く感じるほど。たった一文字の季語なので使い勝手が悪いけれ度。通路横切ってくる蚊蚊蚊蚊蚊かな。。蚊が束になって連なって飛んできたらもっとかゆい。

十忽 評
上五が句全体に対してあまり効いていないと思います。具体的にどんな時か表現した方が良かったように思う。

すみれ 評
吸血鬼は民話や伝説に登場する架空の生き物だか、この句の吸血鬼は「蚊」と捉えた。薄暗い通路や場所には「蚊」が多く、通過する時、何処からともなく、飛んで来る。蚊を吸血鬼と表現した句。

与太郎
「通路」ではなく具体的な場所の方が、ファンタジーを現実化できたような気がします。

鉄平 評
景色や物語がイメージできませんでした、ごめんなさい。何かありそうなんですけどねえ。

智 評
吸血鬼とは、蚊のことだろうか。情景が今ひとつ浮かんでこなかった。

 

梅雨晴れやらくがきの顔笑ってる すみれ

人3点/選者=稚女、十忽、鉄平

苦楽亭 評
梅雨空の毎日。その合間に晴れの日が訪れました。それが嬉しくて、道路に書かれた落書きも笑っています。でもこの笑顔。ただ笑っているだけではないようです。もっといろいろな心情が見えていたはずです。ずっとひとりぽっちだったのかも知れません。家族も失い、友もなく、孤独な毎日だったのかも知れません。空は、そんな顔を笑顔にしてあげたいと晴れ間を作ってあげたのでしょう。メルヘンの一句ですね。

風樹 評
梅雨空の毎日。その合間に晴れの日が訪れました。それが嬉しくて、道路に書かれた落書きも笑っています。でもこの笑顔。ただ笑っているだけではないようです。もっといろいろな心情が見えていたはずです。ずっとひとりぽっちだったのかも知れません。家族も失い、友もなく、孤独な毎日だったのかも知れません。空は、そんな顔を笑顔にしてあげたいと晴れ間を作ってあげたのでしょう。メルヘンの一句ですね。

稚女 評
最近の落書きは判読不明のものが多い。何かへの捌け口のようで美しくない表現からは鬱屈したものしか伝わってこない。梅雨の晴れ間に傘の下に噂の二人の名前がかかれている落書きなら、微笑ましく感じることだろうが。明るい、ホッとさせる句ではあるけれど、何かが足りない。  

十忽 評
束の間の梅雨晴れに、その落書きの顔はどんな顔で笑っているのだろうか。鬱陶しいこの時期に少しは気晴らしになると感じさせてくれた。ホッとする句である。

与太郎
付き過ぎな気がします

鉄平 評
「梅雨晴れ」「笑う」と一見つき過ぎなワードを、「や」で切り「笑ってる」と口語体にしたことによって、目の笑っていない笑い顔にみえました。みながこちらを見て自分を嘲笑っている。大多数が少数を糾弾するような、なんとなくですがそんな恐怖を感じました。

智 評
優しい感じの句だが、それ以上のものが感じられなかった。

 

↓ 兼題句はこちら

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