俳句結社 柳橋句楽部

師匠なし、添削なしの自由気ままな俳句の会です。メンバーおのおので句評をぶつけ合います。月1回、都内某所で開催(現在はコロナにつきビデオ句会が主)。会員12名。句評(句の感想)のカキコミお願いします! また、仲間を募集中。興味ある方はぜひご連絡ください。

第303回句会報告【自由句】

12月28日に行った第303回句会「自由句」報告です。

 

気は晴れむ並木銀杏も浅黄色 森永

1点/選者=鉄平

苦楽亭 評
「れむ」「も」が気になる。

稚女 評
この「む」をどのように解釈するのか、終止形と考えて、晴れたと捉えれば、この銀杏の浅黄色が黄金のように輝いてくるのだが。また、銀杏並木と表記せず、並木銀杏と読まれた理由などが分かりません。「も」も気になるけれど、上五に呼応しているのかな?

すみれ 評
並木銀杏は銀杏並木と捉えた。銀杏並木と言えば、神宮外苑駒沢オリンピック公園を思い出す。冬の青空と銀杏の浅黄色のコントラストが美しい。その美しさに感動した作者は、今まで悩んでいた事も忘れ、気分がスッキリしたのであろう。

十忽 評
浅黄色の読み方は「あさきいろ」で浅葱色は「あさぎいろ」だが、両方とも「あさぎいろ」と読んでいたようだ。しかし句を読み上げた場合は一瞬浅葱色をイメージしてしまうように思う。銀杏の言葉そのものに黄色のイメージがあるので、「浅き色」としても良かったように思います。

与太郎
気持ちが晴れ晴れした。おそらく空が透き通るように青いせいだろう。そのおかげで、銀杏並木まで黄色がかった淡いブルーに見える。「気が晴れた」と言われてしまうと、「あなたは晴れたかも知れないが、私は晴れない」と思ってしまう。「晴れた感じ」を私の中に再現して欲しかった。

鉄平 評
浅黄色は特別珍しいことはなく、秋にはよく目にする光景である。「気は晴れむ」の「は」と「並木銀杏も」の「も」などもいくつか気になるがこれらは意図して使ったのだろう。さて想像するに、散歩中の作者はきっと不機嫌なのだろう。しかしこのままではいけない。何か機嫌直しの材料がないかと周りを見渡してみる。なんでもいいのだ。すると並木銀杏が浅黄色。これだこれだ、銀杏「も」浅黄色になってきたなあ、もう秋だなあ、、、。よし、気「は」晴れた。誰がなんと言おうと晴れた(はず!)という具合だったのだ。

智 評
銀杏が色付いているのを見て気が晴れた、というより、気が晴れたからこそ美しい自然が目に飛び込んできた、と捉えた。

 

煩悩やロックで突こう除夜の鐘 十忽

1点/選者=すみれ

苦楽亭 評
暮れになるとよく作られる句。

稚女 評
108個の煩悩を払う行為であるのが除夜の鐘なので、『煩悩や』の上五は当たり前であり、この句で作者が言わんとしているのは『ロックで突く』だけということになる。ロックで突くという表現だが、それではロックをどのように定義するのかな?

すみれ 評
除夜の鐘をつく事に「うるさい」と苦情が出ている現在であるが、中七の「ロックでつこう」と言う言葉に新しい発想を感じた。ロックミュージックが流れている中で鐘をつくのではなく、ロックミュージック 自体が鐘をつくと考えた。

与太郎
どうしても囚われた業から自由になれない。だから、ノリの良い音楽のリズムに合わせて除夜の鐘をつこうぜ。ということか。残念ながらそれでも、僕の煩悩は振り払われなかった。

鉄平 評
日本の伝統行事、除夜の鐘突きをこともあろうにロックで突くなどなんともバチ当たりな作者。ギスギスとした世の中で破壊的欲求は分からなくもない。さて、この句の場合、読者にクスッと笑わせて、読後にスカッとさせるのが目的だろう。それでもって「詩」を感じさせなければいけない。残念ながら「煩悩」、「ロック」と生な単語を使っていて、だから分かりやすいかと言われたら、よく分からない。ロックを使わずに、ロックを感じさせられれば、それがそのまま詩情になるのではないか。それを踏まえて一句作った。「ジミヘンなら突かずに燃やす除夜の鐘」

智 評
煩悩のためにロックで突くのか、ロックで突いて煩悩を壊したいという想いなのか。直接的な表現過ぎる感じがした。

 

農婦来て地蔵いよいよ着膨れし 鉄平

天8点/選者=奈津②、苦楽亭、十忽、稚女、みみず、庵々、与太郎

苦楽亭 評
地蔵に農婦は若すぎると思うが、老婆ぐらいがぴったり、ユーモラスな句。

稚女 評
「上五』は農婦でなくても「老婆、婆婆」などでも良いのでは無いかと思う。自身が寒さに弱くなってきたこともあり、お地蔵様も「さぞ寒かんべ~」と綿入れの袢纏などを着せている姿が見える。ば~ばも地蔵さまも着膨れてだるまのようになって。

庵々 評
日本の地方に見られる過疎の村の多くの地蔵は、寒さの進行とともに着ぶくれをしたり襟巻きをしたり傘を被ったりする。昔話をしても残っている。願いをこめて着せる。願いは昔より深い。それは「いよいよ」の表現に現れているように思われる。

すみれ 評
新年を迎える準備として、お地蔵さんは新しい赤の帽子、前かけなど……を見に付ける。誰とはなく、準備をして着せてくれる農婦の方……。着膨れて冬の寒さを乗り越えられる。温かい心を感じる。

十忽 評
正月も間近に迫り、寒さも厳しくなってきたのだろう。村はずれにある何体かのお地蔵様に赤いちゃんちゃんこを着せに来た農婦。彼女でもう何人目だろうか。見るからに着ぶくれてこれ以上着せるのは無理なようだ。しかし、お地蔵様は温かそうでにっこり笑っている。農婦も満足げにほほ笑んだ。そんな風景が目に見えるようで、素直ないい句だと思います。

与太郎
あぜ道を農婦が歩いてくる。手には手作りの衣服。かなり小振りだ。おもむろにかがみ込み、お地蔵様に着せかける。おそらく同じことをしている人がいたのだろう。地蔵様はますます着ぶくれしてまるまるとした。年末の良い風景を淡々と活写していると思う。個人レベルの信仰の温かさを知った気がする。

智 評
農夫が畑仕事をするときに、着ている上着を近くのお地蔵さんに引っ掛けている場面だろうか。「いよいよ」という言葉にユーモアを感じた。

奈津 評
畑仕事で通りがかったお地蔵さんに「寒いじゃろう」と自分の着ていた物を着せる。物語にもありそうな情景ですが「いよいよ」が何だかお地蔵さんにとっては実は迷惑なことだったり、と思えるほっこりした気持ちになりました。

 

特急の影駆け抜ける冬田かな 智

2点/選者=十忽、稚女

苦楽亭 評
景は見えるのだが平凡だと思う。

稚女 評
よく見かける表現だ。たわわに稲を実らせた田んぼだが今は水も抜かれて休耕中だ、折しも夜間の特急がそんな休耕田をうかびあがらせながら走り去って行った。状景がよく見える句ではある。常套句ではあるけれど、動と静を上手に描いた句と思う。

すみれ 評
特急でなく「影駆け抜ける」の表現が良い。稲を刈った後の田に白い霜が降りていたり、薄氷の張っている景色は侘びしさがある。冬田の中を一直線に走る特急を思い浮かべる。

十忽 評
中七の「影駆け抜ける」には特急の疾走感が若干薄いように感じられるが、下五の「冬田かな」で救われている。収穫の終わり、稲の切り株が規則正しく並んでいる冬田を疾走する特急の影にフォーカスを絞り込んだところがいい。

与太郎
特急の影が、向こうからやってくる。そして足元を駆け抜けていく。冬の枯れた田んぼの上を、稲株に揺れながら。光景は目に浮かぶのだが、「駆け抜ける」が本当に作者の心を動かしたものを表現しているのか、少なくとも僕にはもう少し違う言葉のほうが響いてきた気がする。

鉄平 評
荒涼とした冬田の中を、特急列車が通り過ぎる。作者は特急の影だけが印象的だったというが、いまの時季は影が薄いので、「駆け抜ける」という疾走感は感じられなかった。どうやって読者に疾走感をどう感じさせるか。その表現こそが、詩となり、オリジナリティとなるのではないか。

 

砂利道に風花舞い降りすっと消え 庵々

2点/選者=すみれ、みみず

苦楽亭 評
景を説明してしまった。

稚女 評
この句も情景はよく見えるのだが、ごく当たり前のことを当たり前に読んだ句としか感じられませんでした。風花の儚さ、下五と異なる表現が欲しい。

すみれ 評
小さい頃の風景を思い出させてくれた句で、懐かしさを覚える。コンクリートアスファルトではなく、砂利道と「すっと」の表現が良い。

十忽 評
中七の「風花舞い降り」の表現が使い古されている。

与太郎
砂利道のうえに、風に運ばれてきた雪がひらひらと落ちる。そして「すっと」消えた。何かを表現しているようで、何も表現されていない、と思う。「風花」は「舞い降りる」ものだし、「すっと」消えるものだ。虚飾の言葉を廃し、自らの心に目を向けて欲しい、と思ってしまう。

鉄平 評
綺麗な景ではあるが「舞い降り」「すっと消える」というのは単に風花の説明ではないだろうか。砂利道だからこそ見る事のできた風花の消え方。作者が発見し、作者の言葉で表現したとき、そこで初めて詩となり、オリジナリティとなるのではなかろうか。

智 評
風花の儚さを感じるが、「すっと消え」の表現が直接的すぎるように思った。

 

梅の枝に珠のれんの朱烏瓜 すみれ

1点/選者=十忽

苦楽亭 評
景がよく見えるのだが、工夫が欲しい。

稚女 評
烏瓜が玉のれんのように木に下がっている風景は美しい。この朱色はとても心惹かれる色ではあるけれど、「朱」という言葉を使う必要はないのでは、、と思う。この句も、真っ赤に色づいた烏瓜が梅の枝に玉すだれのように下がってそして、秋は深まっていくよということと解釈しました。ごく当たり前の表現で新鮮さを感じませんでした。

十忽 評
上五を「梅が枝に」、中七を「珠ののれんの」と詠み替えていただきました。こうすることによって句にリズム感が生まれ、より作者の意図が鮮明になると思われるからです。朱烏瓜と梅の枝は二つとも季語ではないかと思いましたが、下五の「朱烏瓜」に句が収斂されているので良しとしました。気になる点がありはしたものの綺麗な句だと思いました。

与太郎
梅の枝に赤い烏瓜が数珠つなぎに吊されている。まるで、珠暖簾のようだ。ということだろうか。人工物で比喩することが、作者が見た烏瓜のようすを活写していることになるのだろうか。感動ポイントがわからない。人が吊したものではないのだろうか。まるで人工物のように整然と並んでいたと言うこと? それが感動だろうか?

鉄平 評
梅の枝にひっかかったカラスウリがまるで珠のれんのように見えた、という様子だろうか。「梅の」枝にかかっている必要はあるのだろうか。12月だと普通に考えたら梅の花はまだ咲いていない。読者にとってはただの枝なのだ。なので「梅」の枝でなければならない理由がとても薄いし、どちらが主人公か分かりにくい。カラスウリの珠のれんならば、それだけを追求して句にしたほうがよいのではないか。

智 評
梅の花の柔らかな赤と、のれんを染めた朱の色と、烏瓜の鮮やかな赤。華やかな情景が目に浮かんだ。

 

ビルの上に眠るクレーンや月冴えて 稚女

3点/選者=智②、めんこ

苦楽亭 評
そのまんま。

すみれ 評
ビルの上で際立って大きいクレーン。日中、働いていたクレーンが夜の静かさの中に月の光を浴びながら立っている。都会の夜の風景。

十忽 評
クレーンの擬人化が気になった。

与太郎
夜。昼間は動いていたであろうクレーンが、ビルの上で眠っている。月はますます冴えている。夜の重機を詠んだ句だろう。だがもの足りない。どこかで見たことも、聞いたこともある表現だ。また、なぜ中七に「や」を入れる必要があるのだろうか。クレーン、と体言止めにすれば良いだけではないか。

鉄平 評
いくつか気になった。クレーンが眠る場所を「ビルの上」と説明する必要はあるだろうか。クレーンを「眠る」といわゆる「擬人化」が成功しているか。「眠る」に「冴えて」が効いているか。以上を踏まえこんなふうに推敲した。「短日やクレーン月に凭(もた)れおり」

智 評
ビルの上の無機質で圧迫感のあるクレーンが、それを照らす月をより一層美しく見せる。その情景に目を奪われて吸い込まれていきそうな感じがした。

 

病む友よ令和二年は未来です 苦楽亭

無点

稚女 評
令和になって7ヶ月、少し馴染んできた年号だ。作者は病む友人に未来は明るいよ、がんばってきた過去をふり帰らず未来に希望を持とう……と呼びかけているのだろう。それ以上のことは何も言わずに。

すみれ 評
病気の友を励ましている句。未来への目標を持って生きて欲しいと願う作者。「未来です」の表現が気になりました。

十忽 評
まだ令和二年になっていないだけを詠んだ句でつまらない。この句会で病む友といえば誰のことかすぐわかるので、その点をもっと練ってほしかった。

与太郎
病を得ている積年の友よ。かつて我々が知り合い、語り合った頃からすれば、令和二年などという年がやってこようとは思わなかった。思えば遠くに来たものだ……。ということか。希望を読んでいるということだろうが、年号を使っても未来な感じはしない。

鉄平 評
病気の友への応援句だろうか。可もなく不可もなく、それ以上の感動を得られなかった。

智 評
僅か先の未来でも、病人にとってはあるかないか分からないもの。その未来に向かってのエールであろうか。「です」の語尾にはやや違和感を感じた。

 

まぶた裏布団の温もりまだ届かず めんこ

人5点/選者=智、苦楽亭、みみず、庵々、与太郎

苦楽亭 評
そうして長い夜が始まるのです、下5が効いている。

稚女 評
要するに、まだ眠れないのだ、そんな夜もある。しかしこれは俳句だろうか?ポエムはどこに?その辺が理解できず、いただけませんでした。届いて欲しいのは布団の温もりではないのでは。

庵々 評
冬のふとんの中は冷たい。ある程度温まらないと眠れない。句ではまぶたまで暖かくならないので眠れないという。眠れないことの言い訳か。眠りと温の関係。

すみれ 評
布団の温もりはどこへ届くのだろうか?下五の「まだ届かず」と「まぶた裏」との関係・繋がりが十分理解出来ませんでした。

十忽 評
冷え込んだ夜の就寝時を詠んだ句だが、理屈だけの句で詩情がない。

与太郎
冷え切った身体を布団に滑り込ませてしばらくたつ。からだは少しずつあたたまってきたが、顔まではなかなかあたたまってこない。とくに目蓋の裏側には。それもそのはず、あんなものを見てしまったあとでは、あたたまりようもないのだ。下五の語呂も悪い。「まだ」は必要だったのか。何かドラマは感じるが、もう少し気持ちよく整理して欲しい。

鉄平 評
まぶた裏には拭えぬ悲しみがこびりついている。日々のちょっとした寂しさ、切ない恋の句とも取れる。発想は面白いのだが、説明的で詩感が弱く感じた。こんな感じで推敲してみた。「抱き合えど凍夜さびしきまぶた裏」

智 評
目を閉じても寒さが厳しくなかなか体が温まらない。そのもどかしさがうまく伝わってくる。

 

煤逃げや吊るされ箒へそ曲がり 奈津

人5点/選者=苦楽亭、めんこ、庵々、鉄平、与太郎

苦楽亭 評
ユーモラスな句、真っ黒黒すけ思い出してしまった。

稚女 評
煤逃げというのは場所の名称でしょうか?その煤の通り道に吊るされた箒が怒っているのだろうか?

庵々 評
江戸川柳、落語から拝借句。借金取りから逃げる(今は大掃除から)ダンナ、家から出られない女房をからかっている面白さを狙ったもの。

すみれ 評
「煤逃げ」は冬の季語、初めて知りました。「煤払い」では箒が大活躍するのに、吊るされている箒を「へそ曲がり」と言うのか?箒を擬人化している句。ユーモアの句。

十忽 評
箒を擬人化して、「へそ曲がり」とした下五が気になった。

与太郎
大掃除で別の部屋に隔離され、吊された箒。本来なら年末の大掃除、ここぞとばかり仕事をすべきところなのに、おそらくへそ曲がりのせいでお呼びもかからない。へん、そっちがその気ならいいや、掃き仕事なんかせず、このままここで吊されていてやらぁ。へそ曲がりのやせ我慢が見えてきて微笑ましかったです。

鉄平 評
煤逃げを理由に、女房からも借金取りからものらりくらりと逃げる落語のような面白さを感じた。「煤逃げ」は旦那、「吊され箒」はシーン、「へそ曲がり」は女房。上中下で全てが切れているのだ。つたなく見えるが、これはこれで面白い表現なのかもしれない。

智 評
人が煤逃げをしているのに、箒は吊るされたままその場所に置かれている。置いてけぼりをくった箒はへそを曲げているかもしれない、ということか。年末の慌ただしさをユーモラスに表現していると思った。

 

早咲きの梅の白さや子等の声 みみず

無点

苦楽亭 評
見たんだろうな 元気な子供達。

稚女 評
「梅」は春の季語なのだが、早咲きの梅はいつ頃に白い花をつけるのだろうか?そしてそこにいる子供たちは何をして声を上げているのだろうか?

すみれ 評
梅園の中で遊びまわる子どもや梅の花が咲いているそばで遊ぶ子どもを想像した。春の訪れを喜んでいる子どもの声が聞こえる。

十忽 評
下五の「子等の声」と梅の白さが不似合いだと思う。

与太郎
年末から、もう梅が咲いている。白梅だ。早咲きのせいか、その白さが際立って見える。まるで子どもたちの甲高い声がそこに響いているかのように。悪くないけど、好きではない。

鉄平 評
外で遊ぶ子供たちの元気な声に、もしかしたら梅が早咲きしたのかもしれないと思った作者。それだけ印象強い声色、または言葉だったのかもしれない。どんな言葉を発していのだろうか。そこが知りたい。こんな感じに推敲してみた。「早咲きの「まあだだよ」と梅は白」

智 評
ひっそりとした梅の白さと、元気な子供達の声とがうまく取り合わされていると感じた。

 

冬の日の影ひび割れて地下帝国 与太郎

地6点/選者=奈津、稚女、すみれ、めんこ、みみず、鉄平

苦楽亭 評
下5が読み取れない。

稚女 評
木木にさす冬日が地面に複雑な模様を描く。それはまるで地面にひび割れを作っているようにも見える。地中では虫たちが生きんがための激しい戦いをしていることだろう。「影がひび割れる」という表現がいい。

すみれ 評
冬はひでりで田んぼはひび割れている、その下には地下帝国。地下では虫たち・植物が生きている。地下帝国は地下の様子を想像させてくれる。

十忽 評
中七の「影ひび割れて」が、句としての全体像のイメージを妨げているように思います。表現としては成立しているのですが、中七は下五の「地下帝国」を説明しているだけで、意外性がない。

鉄平 評
「冬の日」はお日様ではなく「日々」の日だろう。うだつの上がらない日々を過ごす作者。そんな日々の影がある時、小さな音を立てながらパリパリとひび割れ始めた。ひび割れの小さな隙間を覗くと、なんとそこに地下帝国があったという。作者に何かが起こったのだろう。それはずっと長い冬を過ごしてきた作者の希望が開けた瞬間なのかもしれない。「地下帝国」とあるが地下よりももう少し作者の発見がわかる帝国でもよいかもしれない。

智 評
影の中にひび割れた土を見つけ、その中に何か得体のしれないものを感じた場面だろうか……。「影」「地下帝国」という言葉の中に、知り得ないことに対する不安、恐怖のようなものを感じさせた。

奈津 評
「影ひび割れて」がからからに乾いた冬の日、寒く乾燥した風を感じられて、思わずハンドクリームを塗りそうになりました。ひび割れた影の下、地面の下には地下帝国。映画スターウォーズを見たばかりの私には、その言い切った感が、あるかも知れないな、思えるとうなピッタリの句でした。