俳句結社 柳橋句楽部

師匠なし、添削なしの自由気ままな俳句の会です。メンバーおのおので句評をぶつけ合います。月1回、都内某所で開催(現在はコロナにつきビデオ句会が主)。会員12名。句評(句の感想)のカキコミお願いします! また、仲間を募集中。興味ある方はぜひご連絡ください。

第312回句会報告【自由句】

11月21日に行った第312回句会「自由句」報告です。

今回もコロナの影響を鑑み、ビデオチャットで行いました。

ぶっ叩けモグラやネズミ十日夜 十忽

3点/選者=稚女、宮原、鉄平

苦楽亭 評

十日夜の意味不明、虫送りんの句でもないし、ぶっ叩けと強い言葉を使っていのだから、十日夜に意味があるんだろうな。

稚女 評

季語は「十日夜」で初冬。十日夜は「とおかんや」あるいは「とおかや」と読むとのことを初めて知りました。秋の収穫に感謝して翌年の豊穣を祈り田のかみに餅を供える行事をこの句で初めて知りました。パソコンではまだこの行事を続けている地方もあるとのことです。「とおかんや、とおかんや、とおかんや、藁鉄砲。。。夕飯食ってぶったたけ』ともぐらやネズミなど農作物に害を及ぼすものを追い払い五穀豊穣を祈るということです。かっては農業国であった日本にはこのような行事は沢山あったことでしょう。さて、俳句に戻って拝見するとこの行事をそのまま詠まれている句であること作者の思いは叩くの頭につけた「ぶつ」という強調のみ。しかし、このような我が国伝統行事を初めて教えてくださったことに謝意を持って選をいたしました。

智 評
収穫祭である「十日夜」は、モグラを追い払うために地面を叩きながら唱えごとをする行事。そのの唱えごとに「ぶっ叩け」というものあるらしいい。そうすると、この句ではその行事を説明しているだけなのでは。

大橋 評
あああ

宮原 評
十日夜という行事を知らなかったので、初見ではゲームのモグラ叩きを想像してしまい、どういう句かよくわからなかったが、調べてみると関東・甲信越を中心とした東日本で多く見られる行事とのことだったので西の方で育った自分には聞き馴染みがなかったが、「とおかんやの藁でっぽう夕めし食って、ぶっ叩け」というモグラやネズミなどの害獣除けを兼ねた五穀豊穣を願う歌もあるとのこと。背景を知った上で改めてこの句を見てみると稲刈り後の田んぼを、子供達が件の歌を大声で歌いながら駆け回っている風景が鮮やかに浮かんできた。

 

髪ゴムを前歯で嚙んで背を正し 風樹

3点/選者=みみず、すみれ、めんこ

苦楽亭 評

おしいな、やっていることおそのまま順番に文字にしてしまった。下5から始めたらどうだろう、「背を正し前歯で噛んで髪のゴム」俳句ぽくなるんじゃないかな。

稚女 評

無季の句、髪を束ねるゴムを前歯で噛む。。。そうそう、昔はゴムを輪にしないで片方を歯で噛んで髪を束ねたな〜と思い出しました。しかし、その後に続く下五「背を正し」は何故なのか、意味が不明なので、状況を映像化できません。一句を解釈する何かが不足しているように思い残念ながら選できませんでした。

十忽 評
この仕草というか姿勢はよく見かけます。両手を頭の後ろに持ってくると、必然的に背筋が伸びるようです。詩情に乏しい句だと思いました。

智 評
情景は浮かぶが、その情景からの広がりや心情が伝わってこなかった。

 

 

秋の暮開演を待つトランペット すみれ

天8点/選者=稚女、智、野村、風樹、苦楽亭、めんこ、与太郎、大橋

苦楽亭 評

秋の暮れの季語も平凡だし よくあった景のような句、ただ、場の様子がトランペットがポツンと置いてあって演者もいない、ただ静。

稚女 評

季語は「秋の暮」夏の熱暑が去り、しみじみとうつろう秋、しかも秋の暮にもつイメージは静かでしっとりして落ち着いた時間を感じます。この句を鑑賞してこの季語が生かされているだろうか?と判断してみました。「開演を待つ」という時間帯で静かさを感じます。下五のトランペットとあるのでこれはトランペッターではなく、楽器そのものと解釈すれば静寂の中に置かれたこれから活躍する楽器の存在はとてもいいなと思います、しかし、そうするとこの「待つ」がしっくり来ない。

十忽 評
トランペットは何かの比喩でしょうか。それともそのまま舞台袖か楽屋に置いてある風景なのでしょうか。情景が漠然としている上に、トランペットが擬人化されているようにも受け取れて、句意が読みきれないところがあるのでいただけませんでした。

智 評
コンサートの開演を待つトランペット奏者の緊張感が伝わってくる。その緊張感と、のんびりとした「秋の暮」の対比がよかった。

大橋 評
勝手に胸躍る競艇のSGレースのファンファーレを想像してしまいました。

野村 評
こんなご時世でライブ延期・中止が続いていたが、ようやく再開の目処が立ってきて嬉しい。トランペットもさぞ待ち焦がれていたことだろう。

 

 

生まれくるせせらぎの音や落ち葉踏む 智

1点/選者=みみず

苦楽亭 評

中7の「や」必要だろうか、8文字にしなくてもいいと思う。

稚女 評

季語は「落ち葉」目下、紅葉、黄葉の美しい季節、やがてそれらも落ち葉して本格的な冬になっていきます。作者は落ち葉を踏み締めて小川のせせらぎを聴きながら歩いているのでしょう。落ち葉を踏み締める音、そしてせせらぎの絶え間ない音を楽しみながらの歩行は日常から離れた素晴らしい時間でしょう。ただ、上五の「生まれくる」とせせらぎを表現されたのはどのようなせせらぎなのか疑問です。山からの伏流水が産むせせらぎなのでしょうか?この部分を描いてくださるともっと映像が鮮明になることと思います。

十忽 評
上五の「生まれくる」が気になります。せせらぎの音が生まれてくるという状態をどう表現するか、またはどのように聴こえてくるかを工夫してほしいと思いました。下五の「落ち葉踏む」では作者の足跡を指していると思われるのですが、せせらぎの音と足音の聞こえ方の差異も気になりました。

 

AIロボと名刺交換あきうらら 稚女

人5点/選者=十忽、みみず、風樹、苦楽亭、すみれ

苦楽亭 評

そうゆう時代になったんだ、俳句も、変わらないのは秋うらら。新しい季語が誕生しても、あきららは変わらないだろうな。

十忽 評
のほほんとしたAIロボの表情が浮かびました。こんな風景が当たり前になった時代が来てるかと思うと感無量です。この先どんなことをどこまで見届けられるのかと思うと何だか身につまされて……先が見えてきたなあと、つい……。

智 評
アルファベット、片仮名、漢字、ひらがなとが入り混じっていて、散漫な印象を受けた。

 

 

布団からラジオ体操聴くおかん 大橋

1点/選者=十忽

苦楽亭 評

ユーモラスな句でいいのだが、「から」が気になった

稚女 評

無季の句。寒くなって朝布団から出るのに勇気がいるようになってきました。ましてやラジオ体操は6時台にやっているようでおかんは今朝もぐずぐずと起き渋っているうちにラジオ体操の音が聞こえて来てしまいました。こうなるともう、迷いはなく仕方ないよ〜!おかんは安心してまた、布団のぬくぬくの中へ潜るのでした。これはこんなおかんを見て息子か娘の作った作品でしょう。ダメだな〜という気持ちとまあ、いいかという気持ちの相半ばした思いが伝わって来ます。上五の「から」は「にて」の方が伝わるのではないでしょうか?

十忽 評
思わず笑ってしまいました。たぶんおかんは布団に横たわりながらも手足は動かしていて、その様子もしっかり見えています。ちよっと荒い息遣いさえ聞こえてきそうです。上手い句だと思いました。

智 評
ユーモラスな情景は浮かんでくるが、そこから響くものがなく、報告になってしまっている印象。

 

文京の友に無沙汰や冬構 苦楽亭

3点/選者=智、すみれ、与太郎

稚女 評

季語は「冬構」冬構という季語はこの句会に初めて登場して来たのではないでしょうか?雪の多い寒国では防寒の支度をして家に篭る。暖かい地方でも老人はあまり外へ出なくなる、動物なども。と季語辞典にありました。目下はコロナ社会で高齢者は注意するように始終注意されるので特に篭ることが多い。この句の上五、中七、に季語は反映していると思いますが作者の想いは無沙汰にあり、目下は皆さん無沙汰を致し方なく感じながら過ごしているのでしょう。

十忽 評
風樹さんが恋しそうな苦楽亭さんの顔が浮かんでしまいました。お手紙をお書きになったらいかがですか? どちらが黒ヤギさんで、どちらが白ヤギさんなのでしょうか?

智 評
寒さに備えている中、ふと友人のことを思い出した瞬間を上手く捉えていると思った。

 

 

蘖や窓より秋の空仰ぎ 野村

2点/選者=めんこ、鉄平

苦楽亭 評

蘖は春のものじゃないのかな、秋でもいいのかな「や」で切れているから、中7、下5が平凡。

稚女 評

蘖は春の季語、秋の空は秋の季語。季語重ねであることと蘖は春に萌え出てくる若芽あるいは夏に顕著に見ることができる樹木の勢いで秋の空にふさわしいものではないでしょう。また、作者は蘖を秋の空を窓から見上げた際に見つけたのでしょうか? 空を仰ぐという行為のみではつたわってくるものが薄い。

十忽 評
何の木かはわかりませんんが、部屋の中に鉢植えの木がある風景を想像しました。ヒコバエが出ている木とすると、大きさがちょっと気になりました。下五の「空仰ぎ」の擬人化も気になりました。

智 評
「や」で切っているので主眼は「蘖」にあると思うが、そうすると春を詠っていることになる。「秋の空」は秋の季語であり、主眼がぶれてしまっている印象。

 

ハンカチを踏んで平気で行ける人 与太郎

2点/選者=十忽、宮原

苦楽亭 評

そうなんだけど、そうなんだとしか言いようが無い

稚女 評

ハンカチは夏の季語。このハンカチは夏の情景の中のものではなく、句からは季感を感じられません。作者はこの情景を見たのか、あるいは作者の持ち物であるハンカチがこの句のような被害にあったのだろうか?この句にはいくつか質問が出てくる。ハンカチを踏むとはどういうことなのか、平気というありようはどんなものだったのか、どこへ行く人なのか、作者はその情景のどこに詩を感じてこの句を作ったのでしょうか? 疑問ばかりが湧き上がって来てこの句を評価できませんでした。

十忽 評
散文的な句に思えたものの、詠んでみると中七の「踏んで平気で」がいい。リズムがあって歩き方も勢いがつき、ハンカチなんぞどうでもいいさという、踏んだ人の性格まで読みとれる句になっている。

智 評
そういう人がいるんだ、ということ以外には伝わってくるものがなかった。

宮原 評
ハンカチを踏んで行った人は何か考え事でもしていて、気づかなかっただけではないかと思いたいのだが、本当に何のためらいもなく平気で踏んでいける人なのだとしたら何とも恐ろしい感じがする。サスペンス映画に出てくるサイコパスの人格描写でも使われそうな場面だ。

 

電照菊なき友の番号を打つ みみず

4点/選者=智、宮原、野村、与太郎

 

稚女 評

無季の句。電照菊は夜間に電灯などの人工光の元で栽培された菊のこと。着花、開花などを人工的に制御しての菊はきっと見事なものなのでしょう。その後の中七、下五が解釈できません。この番号と言うのがどのようなものなのか、そして何のためにそれを打つのか?

十忽 評
電照菊を調べてみました。夜間に電気を点けて菊の成長を遅らせ、菊の商品価値を高めるとありました。その電照菊と亡き友の関係がこの句からは読み取れないように思いました。電照菊は単なる季語として詠んでも、中七、下五が取って付けたような感じがします。

智 評
明るさの中に潜んでいるもの悲しさを感じさせる。

宮原 評
闇夜に浮かぶ電照菊のハウスの明かりは、菊の持つ死のイメージも相まって幽玄な雰囲気が漂う。この世とあの世の境目が曖昧になるような幻想的な光景を前にすると詮無いことと知りながらも亡き友の電話番号を打ってしまうのかもしれない。

野村 評
暗がりで亡き友に想いを馳せていたのでしょうか。電照菊の幻想的な灯りが友の魂のようにも感じられ、なんとも言えない気持ちが込み上げた。

 

あごろごろと里芋笑い転げ落つ 宮原

地7点/選者=稚女、野村、風樹、苦楽亭、大橋②、鉄平

苦楽亭 評

流れのはやい田舎の小川でよく見た、土だらけの里芋がきれいになって、皮も剥かれて、嬉しそう。

稚女 評

里芋は秋の季語。この里芋はどこに落ちていくのか不明ながら、以前見た里芋の皮むきの様子を思い出しました。水を張った桶の中に落とし込まれ洗濯をするかのような旋回状態の中で皮が徐々に剥かれていく里芋。里芋は形状と存在が笑い転げと感じられるものでありますが、上五のオノマトペは当たり前すぎて面白くありません。

十忽 評
上五の「ごろごろと」は下五の「転げ落つ」にすでに表現されているように思いました。上五にもう一工夫あってもいいかと思われます。

智 評
擬人化の句。「笑い」という言葉を用いずに楽しさを伝えられる表現ができればよかったように思う。

大橋 評
芋煮会でしょうか、暖かくて楽しい雰囲気が伝わってきます。

野村 評
里芋が転げる様子がおもしろおかしく、食べたくなった。